柳家小せん(読み)ヤナギヤ コセン

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「柳家小せん」の解説

柳家 小せん(初代)
ヤナギヤ コセン


職業
落語家

本名
鈴木 万次郎

別名
前名=麗々亭 柳松,柳家 小芝

生年月日
明治16年 4月3日

出生地
東京市 浅草区福井町(東京都 台東区)

経歴
明治30年4代目麗々亭柳橋に入門、柳松。33年師が亡くなり3代目柳家小さん門下に移り小芝、その後、小せんを名乗った。43年真打ち。梅毒白内障に悩んだが芸は突出しており、廓噺は絶品と評された。病気のため高座に上がるのが難しく、妻子を養う必要性から、師の勧めもあって“授業料”を取って後輩に噺を教え、5代目古今亭志ん生、8代目桂文楽、6代目三遊亭円生ら多くの落語家に噺を伝授した。大正8年「居残り佐平次」を口演した数日後、死去した。「柳家小せん落語全集」「廓ばなし小せん十八番」などが刊行されている。

没年月日
大正8年 5月26日 (1919年)

家族
父=三遊亭 万橘(2代目)(音曲師)

伝記
高座奇人伝志ん生、語る。―家族弟子、咄家たちが語る内緒素顔 小島 貞二 著岡本 和明 著(発行元 筑摩書房アスペクト ’09’07発行)


柳家 小せん(4代目)
ヤナギヤ コセン


職業
落語家

本名
飯泉 真寿男(イイズミ マスオ)

別名
前名=柳家 小満輔,柳家 小きん

生年月日
大正12年 7月24日

出生地
東京市 下谷区(東京都)

学歴
下谷中(旧制)卒

経歴
父は百面相を演じた演芸家の柳家小満ん。昭和24年5代目柳家小さんに入門、小満助を名乗る。26年小きんで二ツ目、36年真打ちに昇進し、4代目小せんを襲名。とぼけた口調の飄々とした芸風で、テレビ草創期に「お笑いタッグマッチ」にレギュラー出演。番組中の“女房のケメ子が…”というギャグが人気を呼び、林家三平の“よし子”、3代目月の家円鏡の“セツ子”と並び一世を風靡、「ケメ子の歌」なども作られた。

没年月日
平成18年 10月10日 (2006年)

家族
父=柳家 小満ん(演芸家)


柳家 小せん(2代目)
ヤナギヤ コセン


職業
落語家

本名
上原 六三郎

別名
前名=柳家 小伝次,柳家 小蝠

生年月日
明治27年 9月15日

経歴
3代目小さんに入門、大正9年2代目小せんを襲名。のち落語協会の事務員

没年月日
昭和34年 8月12日 (1959年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「柳家小せん」の解説

柳家 小せん(1代目)
ヤナギヤ コセン

明治・大正期の落語家



生年
明治16(1883)年4月3日

没年
大正8(1919)年5月26日

出生地
東京市浅草区福井町

本名
鈴木 万次郎

別名
前名=麗々亭 柳松,柳家 小芝

経歴
明治30年麗々亭柳橋に入門し、柳松。33年師匠急逝のため柳家小さん門下に移り小芝、のち小せん。43年真打ち。梅毒や白内障に悩んだが芸は突出しており、廓噺は絶品と評された。「居残り佐平次」「お茶汲み」などを得意とし、「柳家小せん落語全集」「廓ばなし小せん十八番」などが刊行されている。


柳家 小せん(2代目)
ヤナギヤ コセン

大正・昭和期の落語家



生年
明治27(1894)年9月15日

没年
昭和34(1959)年8月12日

本名
上原 六三郎

別名
前名=柳家 小伝次,柳家 小蝠

経歴
3代目小さんに入門、大正9年2代目小せんを襲名。のち落語協会の事務員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の柳家小せんの言及

【落語】より

…とくに円喬と小さんは名人とうたわれたが,円喬は円朝の集大成した江戸落語に磨きをかけた意味で前時代につながる人であり,滑稽噺に人情噺の人物描写の技術を導入して噺を芸術化した小さんは現代に直結する人だった。
[大正から昭和初期の落語界]
 大正になると,活動写真やオペラの流行から落語は不況に向かったが,小さん,円右,円蔵の重鎮以外では,2代蝶花楼馬楽(ちようかろうばらく)(1864‐1914),初代柳家小せん(1883‐1919),4代古今亭志ん生(当時は金原亭馬生)の3人が江戸っ子風の反俗的芸風によって,多くのファンや文学者に愛された。また,英語まじりのナンセンス噺によって,特異な人気を集めた初代柳家三語楼(1875‐1940)もいた。…

※「柳家小せん」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」