柿沼谷蔵(読み)カキヌマ タニゾウ

20世紀日本人名事典 「柿沼谷蔵」の解説

柿沼 谷蔵
カキヌマ タニゾウ

明治・大正期の実業家 下野紡績社長



生年
嘉永7年6月11日(1854年)

没年
大正9(1920)年11月26日

出生地
上野国館林(群馬県)

旧姓(旧名)
増山

経歴
慶応元年(1865年)江戸に出て綿糸業・柿沼谷蔵の店に奉公し、その人物を認められて同家の養子となり、明治12年家督を継ぎ先代の名を襲名して谷蔵と改名、以来業務を拡張して業界にその名を知られるところとなる。更に下野紡績(のちの三重紡績)社長のほか、東京瓦斯紡績、富士瓦斯紡績、東亜製粉、帝国海上保険、第一生命保険などの重役を務め、東京商業会議所特別議員となり実業界で重きをなした。一方、18年から日本橋区議となり公共・教育事業に貢献、日本橋倶楽部、日本橋女学館などの創立にも関わる。大正5年家督を長男に譲り、名を谷雄と改め専ら公共事業に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柿沼谷蔵」の解説

柿沼谷蔵 かきぬま-たにぞう

1854-1920 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)7年6月11日生まれ。綿糸業柿沼谷蔵の店につとめて養子となり,業務を拡張。下野(しもつけ)紡績の社長,東京瓦斯(ガス)紡績などの役員をつとめる一方,日本橋女学館の創立などにもかかわった。大正9年11月26日死去。67歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身旧姓は増山。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android