栂尾祥雲(読み)トガノオ ショウウン

20世紀日本人名事典 「栂尾祥雲」の解説

栂尾 祥雲
トガノオ ショウウン

大正・昭和期の僧侶(真言宗),仏教学者 高野山大学学長。



生年
明治14(1881)年9月30日

没年
昭和28(1953)年5月27日

出生地
香川県三豊郡吉津村(現・三野町)

旧姓(旧名)
宮本

別名
幼名=伊半太

学歴〔年〕
真言宗高等中学校〔明治39年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和16年〕

経歴
明治24年生地の不動護国寺栂尾本元について仏門に入り、師の養子となった。41年真言宗教相部選抜生となり、高野山の中、大学で教え、のち真言宗連合京都大学教授、京都帝大講師。大正10年高野山金剛峰寺から密教研究のため欧州留学、13年帰国して真言宗高野山大学教授、昭和20年同学長、22年高野山密教研究所長。著書に「曼荼羅の研究」「理趣経の研究」「秘密仏教史」「秘密事相の研究」「密教思想と生活」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「栂尾祥雲」の意味・わかりやすい解説

栂尾祥雲
とがのおしょううん
(1881―1953)

明治~昭和期の真言(しんごん)宗の僧。仏教学者。幼名は伊半太。香川県三豊(みとよ)郡吉津(よしづ)村(現、三豊市)宮本伝蔵の三男。1891年(明治24)仁尾(にお)村(現、三豊市)不動護国寺栂尾本元(ほんげん)について得度。栂尾家の養子となって籍、名を祥雲と改める。1910年(明治43)高野山(こうやさん)大学講師となり、1921年(大正10)密教研究のため欧州へ留学。1924年帰朝後、同大学教授となる。1945年(昭和20)高野山大学長に就任。1947年高野山密教研究所長となる。伝統的研究を踏まえて近代ヨーロッパの研究方法を取り入れ、密教研究に独自の新分野を開拓した。その成果(論文50点、単行本19冊)の主要なものは『栂尾祥雲全集』(6巻・別巻1)に収められている。

[池田英俊 2017年9月19日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栂尾祥雲」の解説

栂尾祥雲 とがのお-しょううん

1881-1953 大正-昭和時代の仏教学者。
明治14年9月30日生まれ。大正10年ヨーロッパ,インドへ留学。13年高野山大教授,昭和20年学長。サンスクリット,チベット語の密教原典を研究した。昭和28年5月27日死去。71歳。香川県出身。真言宗連合高等中学卒。旧姓は宮本。著作に「秘密仏教史」「曼荼羅(まんだら)の研究」など。

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367日誕生日大事典 「栂尾祥雲」の解説

栂尾 祥雲 (とがのお しょううん)

生年月日:1881年9月30日
大正時代;昭和時代の僧侶(真言宗);仏教学者。真言宗連合京都大学教授;高野山大学学長
1953年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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