(読み)ちゅう

精選版 日本国語大辞典 「紂」の意味・読み・例文・類語

ちゅう チウ【紂】

中国、殷王朝最後の王。名は辛(しん)。紂は諡(おくりな)。夏の桀(けつ)とならんで悪王の代表とされる。愛妃妲己(だっき)におぼれ、酒池肉林による長夜の宴にふけり、良臣を殺し、民を苦しめたという。後に周の武王に討たれた。生没年未詳。

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デジタル大辞泉 「紂」の意味・読み・例文・類語

ちゅう〔チウ〕【紂】

古代中国のいん王朝最後の王。名はしん妲己だっき溺愛できあいし、酒色にふけって政治を乱し、忠臣比干ひかんを殺すなど、暴虐限りを尽くして武王に滅ぼされた。古来けつ王とともに暴君の代表とされる。殷紂。紂王

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改訂新版 世界大百科事典 「紂」の意味・わかりやすい解説

紂 (ちゅう)
Zhòu

中国,殷の最後の王である帝辛のこと。受ともいう。前11世紀の人。紂というのはその悪行から人々がつけた呼び名だとされる。暴虐な政治によって殷王朝を滅ぼした。夏のけつ)王と並んで古代の悪王の代表とされる。《史記》殷本紀によれば,その力は猛獣を取りひしぎ,その知は臣下の諫言を言いまかせるといった,人並みはずれた資質を持っていた。妲己(だつき)を愛し〈酒池肉林〉の豪奢な長夜の宴を行ったとされるが,単なる淫乱君主というよりも,すぐれた資質ゆえに自信過剰となって暴虐を行ったのだとされている。重税を課し,炮烙(ほうらく)の刑などの酷刑を行ったため人心が離反し,周の武王に牧野(ぼくや)の戦で敗れ,宝玉の衣を着て,火に投じて死んだ。なお殷末の卜辞資料によれば,帝辛は積極的に東夷(人方)征伐を行い,山東省一帯の経営に力を注いでいるすきに,西方から攻めこんだ周の軍に都をおとされたものらしい。その時期の甲骨文の書体も謹厳で,淫靡の風はうかがわれない。紂王の悪行とされるものの多くは,後世の付加なのであろう。
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百科事典マイペディア 「紂」の意味・わかりやすい解説

紂【ちゅう】

古代中国,王朝の最後の君主。殷の記録では,辛または受と記され,紂というのはその悪行から人びとがつけた呼名とされる。才力すぐれた君主で東方に大領土を開いたと伝えるが,《史記》等では,妲己(だっき)を愛し,悪政のために民心離反し,周の武王に討たれて滅んだとする(前1050年ごろ)。夏の(けつ)と並称される暴君の代表者。
→関連項目伯夷・叔斉

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