桂枝太郎(読み)カツラ エダタロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「桂枝太郎」の解説

桂 枝太郎(2代目)
カツラ エダタロウ


職業
落語家

本名
池田 芳次郎

別名
前名=雷門 雷好,春風亭 枝好,春雨亭 雷蔵,桂 小金治

生年月日
明治28年 5月7日

出生地
東京市 日本橋区(東京都 中央区)

学歴
明治薬専〔大正7年〕卒

経歴
6代目雷門助六に落語師事。春風亭枝好、桂小金治を経て昭和18年桂小文治の社中から真打桂枝太郎となった。新作に古典落語を生かし「子故の春」「子供の広場」など、子ども主題のはなしを得意とした。少年院刑務所を長年慰問し続け、52年藍綬褒章を受章した。

受賞
藍綬褒章〔昭和52年〕

没年月日
昭和53年 3月6日 (1978年)

伝記
談志絶倒 昭和落語家伝雑談にっぽん色里誌 芸人編 立川 談志 著,田島 謹之助 写真小沢 昭一 著(発行元 大和書房筑摩書房 ’07’04発行)


桂 枝太郎(初代)
カツラ エダタロウ


職業
落語家

本名
岩本 宗太郎

別名
前名=桂 春之助,桂 梅幸,桂 吾鶴

生年月日
慶応2年

出生地
京都

経歴
幼くして父と死別。母が落語家の桂猫丸と再婚したため、6歳で桂慶枝に入門。翌年2代目桂文都門下へ移り春之助と名乗る。その後梅幸と改め養父とともに旅巡業に出る。明治18年養父没後京都に戻り、3代目松鶴門で吾鶴を名乗り幾世亭に出演。関東地方を巡業したのち、20年頃2代目桂文枝に入門して枝太郎と改める。以後京都に定住して桂派京都勢の中心的存在になった。先斗町の枝太郎と呼ばれ、歯切れの良い口調で線の太い芸風であった。「堀川」「大丸屋騒動」「紙屑屋」など独特の味を見せ、なかでも「莨の火」は絶品と云われた。また舞踊山村流名手であった。

没年月日
昭和2年 2月6日 (1927年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「桂枝太郎」の解説

桂 枝太郎(2代目)
カツラ エダタロウ

大正・昭和期の落語家



生年
明治28(1895)年5月7日

没年
昭和53(1978)年3月6日

出生地
東京・日本橋

本名
池田 芳次郎

別名
前名=雷門 雷好,春風亭 枝好,春雨亭 雷蔵,桂 小金治

学歴〔年〕
明治薬専〔大正7年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和52年〕

経歴
6代目雷門助六に落語を師事。春風亭枝好、桂小金治を経て昭和18年桂小文治の社中から真打桂枝太郎となった。新作に古典落語を生かし「子故の春」「子供の広場」など、子供主題のはなしを得意とした。少年院や刑務所を長年慰問し続け、52年藍綬褒章を受章した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桂枝太郎」の解説

桂枝太郎(2代) かつら-えだたろう

1895-1978 大正-昭和時代の落語家。
明治28年5月7日生まれ。はじめ3代古今亭今輔の弟子となり,のち6代雷門助六に入門する。桂枝好,桂小金治をへて昭和18年2代桂枝太郎を襲名して真打となる。古典を改作した新作物を得意とした。昭和53年3月6日死去。82歳。東京出身。明治薬専卒。本名は池田芳次郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の桂枝太郎の言及

【落語】より

…それは,主要なネタを東京に奪われ,上方弁が方言化して鑑賞を妨げ,そのうえ,わかりやすい上方弁の漫才に追い打ちをかけられたためだった。当時の上方では,初代桂枝雀(しじやく)(1863‐1928),初代桂枝太郎(1867‐1927)の2老大家,東西落語に通じた2代桂三木助,俗に初代という笑いの天才桂春団治(はるだんじ)などが活躍した。
[昭和の落語界]
 昭和初期の東京落語界には,〈兵隊物〉はじめ新作で売り出した柳家金語楼,風刺と警句の5代三升家小勝(みますやこかつ)(1858‐1939),細緻な芸の5代三遊亭円生,渋い6代三笑亭可楽,重厚な8代桂文治,飄逸な味の4代柳家小さんなどがいた。…

※「桂枝太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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