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桃井儀八 もものい ぎはち

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

桃井儀八 もものい-ぎはち

1803-1864 幕末の儒者。
享和3年8月8日生まれ。東条一堂にまなび,門下の三傑にかぞえられた。備中(びっちゅう)(岡山県)庭瀬藩につかえ,水戸の藤田東湖らとまじわる。文久3年(1863)郷里武蔵(むさし)榛沢郡(埼玉県)で尊攘(そんじょう)の挙兵をくわだて,発覚して自首。江戸の福江藩邸の牢で,元治(げんじ)元年7月22日絶食死。62歳。本姓は福本。名は誠。字(あざな)は中道。号は可堂。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桃井儀八
もものいぎはち
(1803―1864)

勤皇の志士。諱(いみな)は誠(せい)。字(あざな)は中道、可堂と号す。武蔵(むさし)国榛沢(はんざわ)郡北阿賀野(きたあがの)村(埼玉県深谷(ふかや)市)に生まれ、初め同郡血洗島(ちあらいじま)村の渋沢仁山に学んだが、のち江戸の東条一堂の門に入り、那珂梧楼(なかごろう)、清河八郎とともに門下の三傑と称された。備中庭瀬(びっちゅうにわせ)藩主板倉氏に仕えたが、1863年(文久3)致仕して郷里に帰り、同郡中瀬村に私塾を開き子弟教育にあたるとともに、攘夷(じょうい)の同志と交わる。同年勤皇の志士と上州の名族岩松氏を盟主とする天朝組の結成を計画したが失敗、幕府に探知され川越藩に自首、江戸の福江藩邸に預けられ幽閉のまま62歳で病没した。1912年(大正1)正(しょう)五位を追贈。[大村 進]

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