梅沢村(読み)うめざわむら

日本歴史地名大系 「梅沢村」の解説

梅沢村
うめざわむら

[現在地名]郡山市日和田町梅沢ひわだまちうめざわ

八丁目はつちようめ村の北、阿武隈川南西岸の小丘陵に立地。慶長(一五九六―一六一五)以前の奥州道中が地内を通っていたが、付替え後は道中よりはずれた。日和田宿から当村を経て鬼生田おにゆうだ村への道が通る。江戸時代阿武隈川の船渡しがあり、地内に舟場ふなば地名が残る。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に梅沢とみえ、高三二一石余、北新右の知行地二本松藩新田開発政策により慶安元年(一六四八)押出おしだし池、同四年に舟場池、承応二年(一六五三)後田うしろだ池、明暦二年(一六五六)当村ほか八ヵ村寄合の安子島あこがしま堰が開削された(元禄一四年「郡山組池堰帳」福島県史)。宝暦一〇年(一七六〇)の二本松領郷村高辻帳(同書)では高四四五石余。


梅沢村
うめざわむら

[現在地名]栃木市梅沢町

尻内しりうち村の北、永野ながの川右岸に立地し、北東大久保おおくぼ村。村の中央部のうばいり沢に梅の老樹があったという。平安期末に立保された東大寺領戸矢子へやこ保に属し、応永六年(一三九九)一二月日の島津道祐等言上状(島津文書)に梅沢村とある。同文書によれば永徳二年(一三八二)三月小山義政の乱の勲功の賞として島津氏に還補されたが、至徳年中(一三八四―八七)野田入道の押領があったという。


梅沢村
うめざわむら

[現在地名]田沢湖町梅沢

村の南を才津さいつ川が流れ、川向いが卒田そつだ村となり、西は平地が広がり国館くにだて村と接する。

梅沢村近辺を支配した梅沢氏は、戦国期に戸沢氏とともに行動することが多く、梅沢城主梅沢右衛門佐などの名が戸沢家譜や「奥羽永慶軍記」にみえる。天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の命により破却された仙北諸士の居城の一つに「梅沢」があるが(新庄古老覚書)、その所在地は不明。同年の出羽国仙北之内北浦郡御検地目録帳(戸沢文書)秀吉が安堵した戸沢氏の領域であるが、「梅沢之内天王志つ村・大荒田村」は梅沢氏分と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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