日本大百科全書(ニッポニカ) 「森村泰昌」の意味・わかりやすい解説
森村泰昌
もりむらやすまさ
(1951― )
美術家。大阪府生まれ。1975年(昭和50)京都市立芸術大学工芸科デザインコース卒業。1978年同大専攻科デザイン専攻卒業。大学卒業後は高校や短大の非常勤講師のかたわら作品制作を継続し、1980年より写真を用いた技法を試み始める。1983年京都のギャラリー・マロニエで初個展を開催、幾何学的な抽象形態を組み合わせたシルクスクリーン作品を発表する。1985年、京都のギャラリー16で開催されたグループ展「ラディカルな意志のスタイル」で『肖像ゴッホ』『肖像カミーユ・ルーラン』を発表、これを機に大型カラー写真によるセルフ・ポートレート作品の制作を本格化させた。
森村のセルフ・ポートレート作品は、演じたい図版を詳細に参照する/服装やアクセサリー、背景などを制作する/自ら丁寧なメークを施して衣装を身に着け、あらかじめ制作しておいた背景をバックにしてポーズをとる/という凝った手順で制作されており、複数の登場人物がいる場合もすべて自分一人で演じ、撮影後にコンピュータ合成によって処理する手法が取られている(森村本人はこれを「自写像」と呼んでいる)。この手法によって、マネ、デュシャン、フリーダ・カーロなど美術史上の人物や有名作品の作中人物に扮した「美術史の娘」シリーズや、マリリン・モンローや原節子などに扮した「女優」シリーズなどの作品を制作、展覧会のみならず雑誌グラビアの連載などを通じても発表され、その模倣の徹底ぶりが大きな話題を呼んだ。
1988年にはベネチア・ビエンナーレの「アペルト部門」に参加、翌1989年(平成1)には全米各地を巡回した「アゲインスト・ネーチャー」展や「ユーロパリア・ジャパン89」展に出品するなど、その作品は早くから海外でも発表され、注目を集めた。美術史や映画からの「流用」によるセルフ・ポートレート写真という技法がシミュレーショニズムの範疇に含まれることから、その作品はシンディ・シャーマンやバーバラ・クルーガーらの作品との対照で論じられることが多い。なかでも森村の作品を、西洋人外交官と中国人の女性スパイの恋愛を描いた、デビッド・ヘンリー・ウォンDavid Henry Hwang(1957― )の戯曲『M・バタフライ』(1988)との類似によってとらえ、「東洋/女性」の「西洋/男性」に対するスパイ的要素、さらに「視る」側とされていた男性を「視られる」側へと転倒させた点を指摘した美術史家ノーマン・ブライソンNorman Bryson(1949― )の議論は、オリエンタリズムやジェンダーといった視点の導入が森村の作品解釈に有益であることを明らかにした。また徹底した模倣が逆説的に生み出すコミカルな要素に関しては、宝塚歌劇や吉本新喜劇をはじめ、森村が幼少時より慣れ親しんだ関西圏の文化の影響も指摘されている。
国内での代表的な展覧会としては、「美に至る病/女優になった私」(1996、横浜美術館)、「空想美術館/絵画になった私」(1998、東京都現代美術館)、「女優家Mの物語」(2002、川崎市市民ミュージアム)などがある。ほかにも、舞台『パンドラの鐘』(1999、演出:蜷川幸雄(にながわゆきお))や映画『フィラメント』(2002、監督:辻仁成(ひとなり)(1959― ))への出演や著作の執筆など、幅広い活動を展開する。2003年、織部賞を受賞。
[暮沢剛巳]
『『空想主義的芸術家宣言』(2001・岩波書店)』▽『『踏みはずす美術史』(講談社現代新書)』▽『「美に至る病/女優になった私」(カタログ。1996・横浜美術館)』