原節子(読み)ハラセツコ

デジタル大辞泉 「原節子」の意味・読み・例文・類語

はら‐せつこ【原節子】

[1920~2015]映画女優神奈川の生まれ。本名、会田昌江まさえ。昭和10年(1935)「ためらふなか若人よ」でデビュー。以後、昭和37年(1962)「忠臣蔵、花の巻・雪の巻」を最後引退するまで、日本を代表する女優として活躍した。主な出演作に「青い山脈」「晩春」「東京物語」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「原節子」の意味・わかりやすい解説

原節子
はらせつこ
(1920―2015)

映画女優。横浜市生まれ。姉の夫、熊谷久虎(くまがいひさとら)監督に推されて1935年(昭和10)日活入社。山中貞雄(さだお)監督の『河内山宗俊(こうちやまそうしゅん)』(1936)、日独合作映画『新しき土』(1937)などでその美貌(びぼう)を注目される。第二次世界大戦後、黒澤明監督『わが青春に悔なし』(1946)、吉村公三郎監督『安城家舞踏会』(1947)、今井正監督『青い山脈』(1949)で知性的なヒロインを好演、トップスターの座を確保する。そして小津安二郎(おづやすじろう)監督の傑作『晩春』(1949)、『麦秋』(1951)等で彼女の「永遠の処女」の神話的イメージが決定づけられた。その後も小津作品などに出演したが、1963年以降映画界を自然引退。

[佐伯知紀]

『佐藤忠男監修『永遠のマドンナ――原節子のすべて』(1986・出版協同社)』『千葉伸夫著『原節子伝説』(1995・翔泳社)』『四方田犬彦著『日本の女優』(2000・岩波書店)』『千葉伸夫著『原節子――伝説の女優』(2001・平凡社)』『片岡義男著『彼女が演じた役――原節子の戦後主演作を見て考える』(ハヤカワ文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「原節子」の意味・わかりやすい解説

原節子 (はらせつこ)
生没年:1920(大正9-)

日本の映画女優。〈永遠の処女〉〈聖処女〉とうたわれ,引退後は〈日本のガルボ〉とまで呼ばれるほど神秘的なイメージを保ちつづける〈永遠のスター〉である。横浜市生れ。義兄の熊谷久虎監督(のちに《阿部一族》(1938)などの名作をつくる)の紹介で映画界入り。本名は会田昌江だが,デビュー作の田口哲監督《ためらふ勿れ若人よ》(1935)で演じた〈節ちゃん〉と呼ばれる女学生の役名から,当時の日活多摩川撮影所長根岸寛一が原節子という芸名をつけたという。

 山中貞雄監督《河内山宗俊》(1936)ですべての無頼の男たちに〈この美しい瞳のためなら死んでもいい〉と思わせるほどの清純でかれんな美しさをもつヒロインの役に抜擢ばつてき)され,次いで日独合作映画《新しき土》(1937)の製作のために来日したアーノルド・ファンク監督の目にとまり,〈日本一の娘形〉という折紙をつけられてヒロインに起用され,スターの座についた。黒沢明監督の戦後第1作《わが青春に悔なし》(1946)から始まる彼女の戦後のキャリアは,大女優にふさわしく,吉村公三郎監督の戦後第1作であり〈戦後最初の日本映画の傑作〉という評価を得た《安城家の舞踏会》(1947),黒沢明とならんで戦後の日本映画を背負う期待の新鋭監督だった木下恵介の《お嬢さん乾杯》(1949),東宝青春映画路線の出発点になった今井正監督の《青い山脈》(1949)から一連の小津安二郎監督作品(《晩春》1949,《麦秋》1951,《東京物語》1953,《東京暮色》1957,《秋日和》1960,《小早川家の秋》1961)に至るまで,多彩で豊かなものであるが,清純型ヒロインから日本女性らしい美しさに輝く熟年にさしかかった42歳で,稲垣浩監督の《忠臣蔵 花の巻・雪の巻》(1962)を最後の出演作として,引退する形になった。
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百科事典マイペディア 「原節子」の意味・わかりやすい解説

原節子【はらせつこ】

俳優。横浜市生れ。本名会田昌江。横浜高等女学校(現,横浜学園高等学校)中退。1935年日活入社。同年《ためらふ勿れ若人よ》でデビュー。山中貞雄監督《河内山宗俊》(1936年)などに出演した後,1937年JO(後の東宝)に移籍(戦後新東宝をへてフリー)。清潔さと聡明さをあわせもった美貌で人気を博し,日独合作映画《新しい土》(1937年)や島津保次郎監督《緑の大地》(1942年),今井正監督《青い山脈》(1949年),黒澤明監督《白痴》(1951年)などに出演。《晩春》(1949年)で初めて小津安二郎監督の作品に出演し,同監督の《麦秋》(1951年),《東京物語》(1953年),《小早川家の秋》(1961年)などの演技が高く評価された。東宝創立30周年記念作品の《忠臣蔵 花の巻・雪の巻》(1962年)を最後に引退。

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知恵蔵mini 「原節子」の解説

原節子

日本の女優。神奈川県出身。本名は会田昌江(あいだ・まさえ)。昭和時代を代表する女優であり、小津安二郎監督の映画に欠かせない女優と言われている。1935年に日活多摩川撮影所に入社し、同年の「ためらふ勿れ若人よ」で銀幕デビュー。「原節子」の芸名は同作品の役名から名付けられた。37年、日独合作映画「新しき土」でヒロインに抜てきされ、女優の地位を確立。戦後、黒澤明監督の「わが青春に悔なし」(46年)に主演。49年に木下恵介監督「お嬢さん乾杯!」、今井正監督「青い山脈」、小津監督「晩春」に主演し、この3作品で毎日映画コンクール女優演技賞を受賞。その後も、「白痴」(51年)、「麦秋」(51年)、「めし」(51年)、「東京物語」(53年)、「山の音」(54年)、など、日本の戦後映画を代表する作品に出演。62年、「忠臣蔵」を最後に突然引退、その理由を語らず、日本映画界の伝説的な存在と言われていた。2015年11月25日、肺炎のため死去していたことが分かった。享年95。

(2015-11-27)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「原節子」の意味・わかりやすい解説

原節子
はらせつこ

[生]1920.6.17. 神奈川,横浜
[没]2015.9.5. 神奈川,横浜
映画女優。本名会田昌江。日独合作映画『新しき土』(1937)のヒロインを演じてスターの座を占め,1940~50年多くの傑作により一般に親しまれた。主演作品『わが青春に悔なし』(1946),『安城家の舞踏会』(1947),『青い山脈』(1949),『晩春』(1949),『麦秋』(1951),『東京物語』(1953),『秋日和』(1960),『小早川家の秋』(1961)。1963年女優を引退した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原節子」の解説

原節子 はら-せつこ

1920- 昭和時代の映画女優。
大正9年6月17日生まれ。昭和10年日活の「ためらふ勿(なか)れ若人よ」でデビュー。24年の「青い山脈」などで人気をえる。のち「東京物語」「秋日和(びより)」などの小津安二郎監督作品に出演,典型的な日本女性を演じて絶賛された。37年の「忠臣蔵」を最後に引退。神奈川県出身。横浜市立高女中退。本名は会田昌江。

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