植山古墳(読み)うえやまこふん

日本歴史地名大系 「植山古墳」の解説

植山古墳
うえやまこふん

[現在地名]橿原市五条野町 植山

丸山まるやま古墳(見瀬丸山古墳)の東方、谷間を挟んで東西に延びる丘陵上に立地する後期古墳。石室の一カ所は古くから知られていたが、墳形その他については明らかでなかった。

平成一二年(二〇〇〇)宅地造成事業に伴う発掘調査で全貌が明らかになった。古墳は丘陵の西端近く、南斜面に築かれた東西長四〇メートル、南北長三二メートル、高さ約五メートルの長方形墳である。墳丘の北・東・西の三方は丘陵から墳丘を区画する形でコの字型に濠を掘り、底部花崗岩や結晶片岩の板石を敷並べる。さらに背後の丘陵頂上の平坦部に一本柱列の塀および柵を設けていた。

埋葬施設は二基の横穴式石室である。東西の石室とも全長一三メートル、東石室が最初に築かれ、西石室がのちに構築されたものとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「植山古墳」の解説

うえやまこふん【植山古墳】


奈良県橿原市五条野町にある古墳。奈良盆地南端の甘橿丘(あまかしのおか)から延びる丘陵の西端に位置する。植山古墳の西約500mには丸山古墳、南東約700mには菖蒲池(しょうぶいけ)古墳が所在するなど、周辺は6世紀から7世紀の有力古墳が集中する地域。2000年(平成12)の調査で古墳の内容が判明し、2002年(平成14)に国の史跡に指定され、2003年(平成15)には追加指定があった。古墳は丘陵の南斜面を掘削して窪地を造り出し、そこに封土を積み上げて築造し、北辺と東西辺に周濠がめぐっている。東西約40m、南北の現存は約27m、高さ3~6mの長方形墳で、主体部は東西に並ぶ2基の大型横穴式石室で、石室の全長は約13m、いずれも南に開口している。両石室とも上面は盗掘により破壊され、天井石と壁上部の積み石が取り去られているが、墳丘の築造法・形状、2基の主体部など、6世紀末から7世紀前半の飛鳥地域の古墳の特徴を典型的に示し、かつ規模と内容が傑出していることから、推古天皇とその子、竹田皇子の合葬陵墓とする考えもある。推古朝有力者の墓として天武・持統朝までその存在が重要視されていたことも推定でき、当時の政治社会を考えるうえで重要視されている。近畿日本鉄道吉野線岡寺駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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