楽山焼(読み)ラクザンヤキ

デジタル大辞泉 「楽山焼」の意味・読み・例文・類語

らくざん‐やき【楽山焼】

出雲焼の一。延宝年間(1673~1681)萩焼陶工倉崎権兵衛が出雲国島根郡西川津村(松江市楽山茶陶を焼きはじめたのに始まり、今日では日用陶器も焼かれる。御山焼。権兵衛ごんべい焼。ぎょうざんやき。

ぎょうざん‐やき〔ゲウザン‐〕【楽山焼】

らくざんやき(楽山焼)

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精選版 日本国語大辞典 「楽山焼」の意味・読み・例文・類語

らくざん‐やき【楽山焼】

  1. 〘 名詞 〙 延宝年間(一六七三‐八一)に、陶工倉崎権兵衛が出雲国八束郡楽山(島根県松江市)で焼きはじめた抹茶用の陶器。権兵衛焼。〔本朝陶器攷証(1857)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「楽山焼」の意味・わかりやすい解説

楽山焼
らくざんやき

島根県の代表的な陶窯(とうよう)で、出雲(いずも)焼ともよばれる。1677年(延宝5)松江藩主松平綱近(つなちか)が長門(ながと)(山口県)の萩(はぎ)焼の陶工・倉崎(蔵崎)権兵衛を召し抱えて開窯した。窯は島根郡西川津村(現松江市)に築かれ、世に権兵衛焼と称されたが、初期の作品は当時流行の高麗茶碗(こうらいぢゃわん)を手本とした茶碗が中心であった。権兵衛ののちは弟子の加田半六が4代引き継ぎ、1801年(享和1)松平治郷(はるさと)(不昧(ふまい))が長岡住右衛門貞政を召し出して以後は長岡家が楽山焼を守り、貞政、空斎、空八、庄之助(しょうのすけ)、空昧、空処、そして現在の空権へと続いている。この再興楽山焼では、高麗茶碗写しのほか色絵陶が焼造され、色絵はかならずしも茶具に限らず、花瓶、大皿、食籠(じきろう)などにも華やかな力作がある。

[矢部良明]

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事典 日本の地域ブランド・名産品 「楽山焼」の解説

楽山焼[陶磁]
らくざんやき

中国地方、島根県の地域ブランド
松江市で製作されている。江戸時代初期の1677(延宝5)年に松江藩の御用窯として開窯。いったん途絶えたが、1801(享和元)年に7代松江藩主・松平治郷(号=不昧)が名工・長岡住右衛門貞政に命じて再興させた。松江藩主が代々茶を愛していたことから、現在でも抹茶碗などの茶陶製作に優れる。島根県ふるさと伝統工芸品。

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