小栗村(読み)おぐりむら

日本歴史地名大系 「小栗村」の解説

小栗村
おぐりむら

[現在地名]協和町小栗

小貝こかい川左岸にあり、北は「常陸国風土記」に記される波太はだ岡の丘陵が東西に連なる。東は蓬田よもぎだ村。「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)一一月八日条に「小栗御厨」とあり、小栗の地名の初見である。小栗は小栗御厨の中心地で、常陸平氏に属する小栗氏が城を築いて支配した。小栗氏は南北朝期を生き抜き、引続き当地を支配するが、応永三〇年(一四二三)上杉禅秀の乱に加わったため鎌倉公方足利持氏に攻められ、小栗城は落城した(「鳥名木国義着到状」鳥名木文書)。永享一二年(一四四〇)の結城合戦で、小栗助重が小栗城を奪い返すが、康正元年(一四五五)再び陥落し、以後は宇都宮城の支城となる。


小栗村
おぐりむら

[現在地名]松山市小栗町おぐりまち・小栗一―七丁目・雄郡ゆうぐん一―二丁目・藤原ふじわら一―二丁目・室町むろまち・室町一―二丁目・空港通くうこうどおり一丁目

松山平野の西平坦部に位置する農村。東は立花たちばな村、西は土居田どいだ村、南は立花・和泉いずみの両村に接し、北は藤原ふじわら竹原たけわらの両村と境している。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の温泉郡の項に「小栗村 日損所」とある。

古代には温泉郡立花郷(和名抄)に属したと考えられる。「三代実録」元慶二年(八七八)七月の条によれば、雄郡おぐり神に従五位下の神階が授けられている。雄郡神とはこの地の神社に祭祀された神であったと推定される。これから想像すると、古くからこの地は雄郡おぐりとよばれ、のちに小栗の文字があてられるようになったのであろうか。


小栗村
おぐりむら

美里町猪俣いのまたの通称小栗付近に比定される。永和四年(一三七八)九月六日の鎌倉府奉行人連署奉書(矢田部文書)によると、伊豆三島みしま(現静岡県三島市)神主長門前司盛直の訴えを受けた鎌倉公方足利氏満が、信濃石弥藤次入道による「小栗村」押領を退け、下地を社家代官に沙汰付けるよう武蔵国守護代長尾景守に命じている。同年一一月四日にその旨を伝える吉里新左衛門尉宛および松岡弥次郎宛の長尾景守遵行状(ともに同文書)が発給されており、当時小栗村は伊豆三島社領であった。


小栗村
おぐりむら

[現在地名]七尾市小栗町

清水平しみずだいら村の西、八幡はちまん川上流左岸にある山間の村。天和元年(一六八一)いおり村から分村独立。土方領で、領主の変遷は外林とばやし村に同じ。寛永一九年(一六四二)の小物成銀は二六匁余(高橋文書)、天和元年の高二一石余、免五ツ一歩(「加越能御絵図覚書」加越能文庫)。明治二年(一八六九)の家数四・人数二七、牛二(「預所土方旧采地取調帳」岐阜県立図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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