1295年、イギリス王エドワード1世(在位1272~1307)が招集した議会。イギリスの議会は、王が聖俗の大貴族に国政や司法の重要問題を諮問する封建的集会の大会議に、13世紀以降州や都市の代表が参加するようになり、しだいに形を整えていくが、この年の議会には、〔1〕大司教、司教、修道院長、〔2〕大貴族(伯などの諸侯)、〔3〕各州2名の騎士と各都市2名の市民、〔4〕副司教、付属修道院長以下の教区代表を含む下級聖職者が、参加し、その構成が当時の社会構成を「模範」的に代表していたためこの名がある。もっとも、こうした地域代表参加の議会が恒常化するのは14世紀前半エドワード2世の治世であり、また下級聖職者はのち議会には参集しなくなった。なお、「貴族院(上院)」「庶民院(下院)」の二院構成は14世紀の間にしだいに明確となる。
[松垣 裕]
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1295年イングランドのエドワード1世が召集した議会。高位聖職者,大貴族のほかに,各州2人の騎士,各都市2人の市民および下級聖職者の代表者から構成。当時の社会構成を反映していたところから,19世紀に名づけられた。
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…在位1272‐1307年。父王ヘンリー3世晩年の貴族による国政改革の争いに,自らも参加し,即位ののちその経験を生かして,1295年には高位聖職者,有力貴族,各州と諸都市の代表からなる議会(後世〈模範議会Model Parliament〉とよぶ)を召集して課税協賛を得た。また土地保有制を秩序化する法律を制定して中世以来の法を整えるなど,後世のイギリスの国政に基礎をあたえた。…
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