横山松三郎(読み)よこやままつさぶろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「横山松三郎」の意味・わかりやすい解説

横山松三郎(心理学者)
よこやままつさぶろう
(1890―1966)

心理学者。水戸市の生まれ。1907年(明治40)17歳で渡米、1913年(大正2)コロラド大学に入学、さらにハーバード大学、クラーク大学に学び、1921年感情研究により学位をとる。ボーリングと親しい。1922年慶応義塾大学予科教員(心理学担当)、1926年(大正15)心理学実験室の創設尽力私学における実験室の初め)、感覚、知覚、感情などの実験的研究の実施や指導にあたった。1938年(昭和13)同大学文学部教授、1957年文学部長、1959年日本心理学会会長となる。慶応義塾大学心理学研究室の土台と伝統をつくっただけでなく、日本心理学会、日本応用心理学会創立にも尽力した。

[宇津木保]

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朝日日本歴史人物事典 「横山松三郎」の解説

横山松三郎

没年:明治17.10.15(1884)
生年天保9.10.10(1838.11.26)
幕末明治期の洋画家,また日本写真黎明期の写真家。千島列島エトロフで生まれる。家系は箱館の廻船業高田屋嘉兵衛の請負生業としていた。嘉永5(1852)年箱館の呉服商丁稚奉公に出る。このころから画家を志すが病や家庭の事情により果たせず,20歳代にロシアの画家レーマンに巡り会い,画業と写真を教授される。慶応4(1868)年江戸両国に写真業を開業,その後上野に移り「通天楼」と号して営業した。明治4(1871)年太政官の制度調査御用掛蜷川式胤の依頼を受けて,荒廃した江戸城を撮影した。5年古器旧物保存,すなわち文化財保護の太政官布告を受けて行われた奈良京都方面の文化財調査に参加,その業績は今日も美術史研究上の貴重な資料として生かされている。

(平木収)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

20世紀日本人名事典 「横山松三郎」の解説

横山 松三郎
ヨコヤマ マツサブロウ

大正・昭和期の心理学者 慶応義塾大学教授。



生年
明治23(1890)年2月9日

没年
昭和41(1966)年9月24日

出身地
茨城県

経歴
コロラド大学、ハーバード大学、クラーク大学に留学。昭和13年慶応義塾大学教授。34年日本心理学会会長。著作に「感情の同化について」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横山松三郎」の解説

横山松三郎(1) よこやま-まつさぶろう

1838-1884 幕末-明治時代の写真家,洋画家。
天保(てんぽう)9年10月10日択捉(えとろふ)島生まれ。箱館(はこだて)でロシアの画家レーマンに写真術や油絵をまなび,のち下岡蓮杖(れんじょう)に師事。明治元年東京両国に写真館を,6年上野に画塾をひらく。3年日光,翌年荒廃した江戸城を撮影。陸軍士官学校で写真術,石版法を講義した。明治17年10月15日死去。47歳。名はのち文六。

横山松三郎(2) よこやま-まつさぶろう

1890-1966 大正-昭和時代の心理学者。
明治23年2月9日生まれ。コロラド大,ハーバード大,クラーク大でまなぶ。昭和13年慶大教授。心理学実験室の創設や実験的研究の指導にあたる。34年日本心理学会会長。昭和41年9月24日死去。76歳。茨城県出身。著作に「感情の同化について」。

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367日誕生日大事典 「横山松三郎」の解説

横山 松三郎 (よこやま まつさぶろう)

生年月日:1890年2月9日
大正時代;昭和時代の心理学者。慶應義塾大学教授;日本心理学会会長
1966年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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