横田国臣(読み)ヨコタ クニオミ

20世紀日本人名事典 「横田国臣」の解説

横田 国臣
ヨコタ クニオミ

明治・大正期の司法官,男爵 大審院院長;検事総長



生年
嘉永3年8月9日(1850年)

没年
大正12(1923)年2月24日

出生地
豊前国宇佐郡横田村(大分県宇佐市)

学位〔年〕
法学博士〔明治40年〕

経歴
島原藩士横田宗雄の長男で、同姓四郎の嗣となる。主として独学官途についた。初め埼玉県に出仕、明治9年司法省に入り検事補となり、13年検事、以後司法省権少書記官、統計委員、参事院員、元老院議官補、司法少書記官を歴任。19年欧州留学、24年帰国して司法省参事官、25年同省民刑局長。29年司法次官に任命され司法部改革にあたる。31年検事総長となるが、同年10月時の内閣と衝突して懲戒免官。再起して32年東京控訴院検事長、37年検事総長に復活。39年大審院長となり、15年間その職を務めた。大正4年男爵。著書に「法律哲学」「観察哲学」「政略哲学」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学位

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横田国臣」の解説

横田国臣 よこた-くにおみ

1850-1923 明治-大正時代の司法官。
嘉永(かえい)3年8月9日生まれ。慶応義塾にまなぶ。司法省にはいり,司法次官,検事総長となったが,明治31年法相大東義徹と対立し懲戒免官。翌年復職して39年から15年間大審院長をつとめる。民法,刑法などの改正,実施につくした。大正12年2月22日死去。74歳。豊前(ぶぜん)宇佐郡(大分県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「横田国臣」の解説

横田 国臣 (よこた くにおみ)

生年月日:1850年8月9日
明治時代;大正時代の司法官。大審院長
1923年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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