朝日日本歴史人物事典 「正子内親王」の解説
正子内親王
生年:大同4(809)
平安時代前期の淳和天皇皇后。嵯峨天皇と橘嘉智子の子。「まさこ」とも。天長4(827)年皇后に。恒貞親王を生む。天長8年旱災のとき,囚徒を録して人々の作役を廃するよう天皇に勧めると雨が降ったという。天長10年仁明天皇が即位し,恒貞が立太子。承和7(840)年夫が死亡したため,出家して尼となった。承和の変(842)が起こるや,謀反の中心とみなされ恒貞親王は廃太子。正子は摘発者の母嘉智子を怨んだ。貞観2(860)年菩薩戒を受ける。法名は良祚。篤く仏教を信仰し,大覚寺を建立。側に僧尼の病気治療のための済治院を建てた。さらに淳和院を道場とし,尼の居所とした。京中孤児の養育にも当たった。
(京楽真帆子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報