朝日日本歴史人物事典 「藤原延子」の解説
藤原延子
生年:長和5.10.4(1016.11.6)
平安時代後期の後朱雀天皇女御。麗景殿女御,高倉女御とも。藤原頼宗と藤原伊周娘の子。一条天皇の娘脩子内親王に養育される。長久3(1042)年後朱雀天皇に入内し,寛徳1(1044)年に懐妊するが,天皇が重病に陥る。延子と,教通の娘生子が天皇存命中に立后を実現するためそれぞれ画策競争するが,果たさぬうちに天皇は死亡。3カ月後に正子内親王を生む。永承5(1050)年従二位。康平3(1060)年父の封戸500烟を譲られる。延久5(1073)年病気により出家。嘉保2(1095)年霍乱(痢病の一種)により死亡した。
(京楽真帆子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報