藤原延子(読み)ふじわらのえんし

朝日日本歴史人物事典 「藤原延子」の解説

藤原延子

没年嘉保2.6.9(1095.7.13)
生年:長和5.10.4(1016.11.6)
平安時代後期後朱雀天皇女御。麗景殿女御,高倉女御とも。藤原頼宗藤原伊周娘の子。一条天皇の娘脩子内親王に養育される。長久3(1042)年後朱雀天皇に入内し,寛徳1(1044)年に懐妊するが,天皇が重病に陥る。延子と,教通の娘生子が天皇存命中に立后を実現するためそれぞれ画策競争するが,果たさぬうちに天皇は死亡。3カ月後に正子内親王を生む。永承5(1050)年従二位。康平3(1060)年父の封戸500烟を譲られる。延久5(1073)年病気により出家。嘉保2(1095)年霍乱(痢病一種)により死亡した。

(京楽真帆子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原延子」の解説

藤原延子(1) ふじわらの-えんし

?-1019 平安時代中期,敦明(あつあきら)親王(小一条院)の妃。
藤原顕光(あきみつ)の次女。母は盛子内親王。敦明親王皇太子にたてられる以前に妃となり,敦貞,敦昌両親王,栄子内親王を生む。堀河女御(にょうご)とよばれた。「後拾遺和歌集」などに,夫が皇位につけず后位への夢もきえたことをなげく歌がみえる。寛仁(かんにん)3年4月10日死去。名は「のぶこ」ともよむ。

藤原延子(2) ふじわらの-えんし

1016-1095 平安時代中期,後朱雀(ごすざく)天皇の女御(にょうご)。
長和5年生まれ。藤原頼宗の娘。母は藤原伊周(これちか)の娘。脩子(しゅうし)内親王の養女。長久3年(1042)入内(じゅだい)し,同年女御となる。天皇の没後まもなく正子内親王を生んだ。従二位。麗景殿女御,高倉女御とよばれる。嘉保(かほう)2年6月9日死去。80歳。名は「のぶこ」ともよむ。

藤原延子 ふじわらの-のぶこ

⇒ふじわらの-えんし

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「藤原延子」の解説

藤原延子 (ふじわらのえんし)

生年月日:1016年10月4日
平安時代中期;後期の女性。後朱雀天皇の女御
1095年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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