嵯峨(さが)天皇の皇后。内舎人(うどねり)橘清友(きよとも)(758―789。贈太政(だいじょう)大臣正一位)の女(むすめ)。嵯峨天皇の親王時代に妃となり、即位後815年(弘仁6)皇后に冊立、823年譲位に際して皇太后、自分の生んだ仁明(にんみょう)天皇が即位した833年(天長10)以後は太(たい)皇太后として尊ばれた。容姿美しく穏和で仏教を深く信じ、京都西郊の嵯峨に壮麗な檀林(だんりん)寺を建立。ここで唐僧義空(ぎくう)(生没年不詳)に禅書を講じさせたので檀林皇后とよばれた。日本で禅が唱えられた初めといわれるが、これは、皇后が宝幡(ほうばん)や繍文袈裟(しゅうもんげさ)などの仏具を多くつくり、僧慧萼(えがく)(生没年不詳)を遣わして唐の寺院や僧侶(そうりょ)に喜捨(きしゃ)したことによる。また兄の右大臣橘氏公(うじきみ)(783―848。薨伝(こうでん)では弟)と議して学館院(がっかんいん)を開き、一族子弟の学舎とした。仁明天皇の没後まもなく嘉祥(かしょう)3年5月4日、65歳で薨(こう)じた。陵墓は京都市右京区嵯峨の嵯峨陵。
[谷口 昭 2017年9月19日]
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786~850.5.4
檀林皇后とも。嵯峨天皇の皇后。父は橘清友。仁明(にんみょう)天皇や淳和(じゅんな)天皇の皇后正子内親王の母。神野(かみの)親王(嵯峨天皇)の妃となり,809年(大同4)夫人,815年(弘仁6)皇后,823年皇太后,833年(天長10)太皇太后となる。檀林寺を建立し,橘氏氏神の梅宮社を移祭し,橘氏子弟の学舎として学館院を設立した。「法華寺十一面観音像」のモデルとされる。
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…学官院,学宦院とも記す。檀林皇后橘嘉智子が弟の右大臣橘氏公(うじきみ)とはかって建てたもので,一族の大学生の寄宿勉学のために,承和年間(834‐848)の末年ごろ設立したと思われる。場所は右京二条西大宮辺であったというが,その規模や活動の状況は不明である。…
…823年(弘仁14)に譲位した後,834年(承和1)嵯峨院内に新造御所を造営し,それまで後院(ごいん)としていた冷泉院からここに移り,8年後の842年にここで没した。その間,皇后の橘嘉智子も同居した。なお,嘉智子が建立した檀林寺も嵯峨にあった。…
…創始は嵯峨天皇が譲位後の御所として造営したものと考えられる。文献上の初見は836年(承和3)で,仁明天皇が京内の空閑地200余町を生母,橘嘉智子の朱雀院に寄せている。嵯峨天皇のあと皇后の彼女が居住したことを物語るものである。…
※「橘嘉智子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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