日本歴史地名大系 「母体村」の解説
母体村
もたいむら
東に
「梅津政景日記」元和五年(一六一九)一二月一日条に「もたい山之儀ニ付左兵衛様より御使有、拙者御返事申上分ハ、小羽・材木御公用ニ而野城へ下候分ハ、中田彦大夫、太窪左門、田崎善介、小貫喜兵衛切手にて無異儀被遣、来暮ニハ、其切手爰元ヘ無残可被遣候」とあり、檜山城主多賀谷左兵衛が母体山を支配し、公用切出しを行って、野代へ下げている。
母体村
もたいむら
北上川左岸にあり、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報