日本歴史地名大系 「比土村」の解説 比土村ひどむら 三重県:上野市比土村[現在地名]上野市比土・朝日(あさひ)ヶ丘(おか)町古郡(ふるごおり)村の南。南は標高約三〇〇メートル(最高三七七メートル)の丘陵が東西に連なる。大(おお)川(木津川)が東南より、ひし小田(おだ)川(出屋敷川)が西南より北流する。大川の河岸段丘恩常寺(おんじようじ)(恩城寺)台地は比高約一七メートル、古くは川が真っすぐ北に流れて現常福(じようふく)寺辺りを西に湾流していたと思われる。上流塚原(つかはら)より山(やま)ノ下(した)辺りまでの西岸の集落は高瀬(たかせ)小場とよばれるが、「延長風土記」は「伊賀郡高瀬里」と記し、「宗国史」は高瀬村を枝村とする。河岸段丘南東部(現朝日ヶ丘町団地)ではサヌカイト・弥生式土器・須恵器・土師器を出土し、横穴式石室の古墳・竪穴住居跡・寺院跡・城館跡が確認されている。南山麓からは高さ四尺二寸五分の銅鐸(埼玉県博物館蔵)が出土したが、文久三年(一八六三)のことと伝える。東部の山ノ下・早山(はやま)には各数基の古墳が認められ、円筒埴輪・家形埴輪が出土した。式内社は比地(ひち)神社と高瀬神社で、寺院は蓮台(れんだい)寺(廃寺)・報恩(ほうおん)寺・蓮花(れんげ)寺が古い。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by