比田勝(読み)ひたかつ

日本歴史地名大系 「比田勝」の解説

比田勝
ひたかつ

中世よりみえる豊崎とよさき郡内の地名。「海東諸国紀」では「皮多加地浦五十余戸」とある。大永元年(一五二一)頃「就今度国中錯乱之儀、おふひたかち」の宗左衛門大夫・宗左馬大夫・宗修理亮およびそれぞれの寄合中に対して、真っ先に馳せ参じたことを島主宗盛長が神妙とし感謝している(年未詳五月一四日「宗盛長書状」豊崎郷給人等判物写、以下断りのない限り同判物写)。彼らは当地を拠点とする者で、高麗人が漂着した件で宗氏と交渉した「比田勝中務大輔・修理同源太郎」らに通じる人々であろう(年未詳七月二三日宗晴康書状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「比田勝」の意味・わかりやすい解説

比田勝
ひたかつ

長崎県対馬市北東部,上対馬町の中心地区。商業が中心で,対馬島内の商圏厳原佐賀 (峰町) とともに3分している。小倉 (北九州市) から定期航路が開かれ,北九州の影響が大きい。国道 382号線の北側起点。東岸に開いた湾に面し,沖合い漁業の基地避難港でもある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android