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水の江滝子 みずのえたきこ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

水の江滝子
みずのえたきこ

[生]1915.2.20. 北海道,小樽
女優,プロデューサー。本名三浦ウメ。高等小学校在学中,松竹少女歌劇団創設に伴い第1期生となる。 1928年「水の江たき子」として初舞台。 30年滝子と改め,髪をショートカットにした男装の麗人スタイルで登場。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

水の江滝子 みずのえ-たきこ

1915-2009 昭和時代の女優,映画プロデューサー。
大正4年2月20日生まれ。昭和3年東京松竹楽劇部(松竹歌劇団の前身)1期生。男装の麗人として人気をあつめ,ターキーの愛称で知られた。14年退団。29年日活プロデューサーとなり,「太陽の季節」「狂った果実」などを手がけ,石原裕次郎らをそだてた。またNHKテレビジェスチャー」などに出演。のちジュエリーアーチストとして活躍。平成21年11月16日死去。94歳。北海道出身。目黒高女卒。本名は三浦ウメ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

水の江滝子
みずのえたきこ
(1915―2009)

女優、芸能プロデューサー。本名三浦ウメ。北海道生まれ。1928年(昭和3)東京松竹楽劇部(後の松竹少女歌劇団、松竹歌劇団)の第1期生として入団。芸名は万葉集のなかから、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の「あしかものさわぐ入江の水の江の 世に住みがたき我が身なりけり」からとって水の江たき子としたが、1930年に滝子と改めた。同年9月、浅草松竹座での『松竹オンパレード』で、司会役の紳士に扮(ふん)した際、他に先駆けて断髪姿で登場、一躍評判となり「男装の麗人」なる流行語も生れた。翌1931年11月、新宿新歌舞伎座(かぶきざ)での『万華鏡』では、カウボーイの役を演じ、拳銃(けんじゅう)を構えて「俺(おれ)はミズノーエ・ターキーだあ」と見得を切ったのが受けて、以後「ターキー」の愛称でよばれるようになり、颯爽(さっそう)とした男役ぶり、ダイナミックな演技で人気を不動のものにした。1933年の6月、浅草松竹座での『真夏の夜の夢』公演中に楽団員の待遇改善要求に端を発した争議が本格化、歌劇部員も合流してのストライキに発展、水の江が闘争委員長となり、ジャーナリズムに「桃色争議」と書き立てられた。同年10月の争議解決後、水の江がパリの伊達男(だておとこ)に扮した『タンゴ・ローザ』は松竹レビュー始まって以来の傑作といわれ、計160回という上演新記録を打ち立てた。1939年5月、芸術親善使節として渡米、各地で歌や踊りを披露した。
 1942年に松竹少女歌劇団を退団して「劇団たんぽぽ」を結成、翌1943年1月に東京丸の内の邦楽座で旗揚げ、数々の優れた音楽喜劇を上演して女優としての新境地を開いた。しかし、途中で有力座員の大部分が抜けたのが致命傷となり、1948年1月に解散した。映画への初出演は1946年1月に封切りの松竹映画『グランド・ショウ一九四六年』だったが、劇団解散後は単独でミュージカル・ショーの舞台や各種映画にも出演するなどして活躍を続けた。1958年6月、浅草国際劇場で『さよならターキー・輝く王座』と題して盛大に引退興行を行った。その後はテレビ出演のかたわら、プロデューサーとして石原裕次郎ら多くのスターを育てたほか、映画やテレビ番組の制作にも従事した。また装飾品のデザイナーとしても知られる。1993年(平成5)2月19日の満78歳の誕生日前日に生前葬を行った。著書に『ターキー放談笑った、泣いた』(1984)などがある。[向井爽也]
『『華麗なる三婆――文句があったら言ってみな』(1982・山手書房) ▽『ターキー放談笑った、泣いた』(1984・文園社) ▽『水の江滝子のジュエリーメーキング』(1988・山海堂) ▽『ひまわり婆っちゃま』(1988・婦人画報社) ▽『みんな裕ちゃんが好きだった――ターキーと裕次郎と監督たち 』(1991・文園社) ▽『ターキーの気まぐれ日記』(1998・文園社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の水の江滝子の言及

【少女歌劇】より

…37年に3600人収容の浅草国際劇場が新築開場,ここが本拠地となった。当時は,ショートカットにシルクハット,タキシードのスタイルで〈男装の麗人〉として人気をさらい〈ターキー〉の愛称で親しまれていた水の江滝子(1915‐ )の人気絶頂期であり,またオリエ津阪らも幹部であった。しかし,戦争の激化とともに,やはり苦しい道を歩むこととなり,44年には同歌劇団を解消して松竹芸能本部女子挺身隊を結成した。…

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