水の江 滝子
ミズノエ タキコ
- 職業
- 女優 映画プロデューサー
- 旧名・旧姓
- 三浦 ウメ
- 生年月日
- 大正4年 2月20日
- 出生地
- 北海道 小樽市花園町
- 出身地
- 東京都 目黒区
- 学歴
- 中目黒尋常高小
- 経歴
- 8人きょうだいの下から2番目(末娘)として北海道小樽で生まれ、2歳で東京・目黒に移る。昭和3年9月13歳の時に、姉が勝手に応募した東京松竹楽劇部(33年より松竹少女歌劇団)の創設オーディションに合格、第1期生として入団。12月「御大典奉祝レビュー」で初舞台。当初の芸名は東路道代であったが、水の江滝子という女優が松竹上層部に“東路道代の方がいいから替えてほしい”と掛け合ったため、それに応じて水の江滝子となった。芸名は柿本人麻呂の和歌“あしかものさわぐ入江の水の江の世に住みがたき我が身なりけり”にちなむ。5年6月「松竹座リーグ戦」で初めて役が付き、9月「松竹オン・パレード」で紳士に扮した際、初めてショートカットに刈り上げ、タキシードにシルクハットのスタイルで出演。6年6月「先生様はお人好し」で“男装の麗人”役が決定的なはまり役となり、11月「万華鏡」で演じたカウボーイ役で“俺はミズノーエ・ターキーだ”と大見得を切ったのが受け、“ターキー”の愛称が定着。8年松竹座音楽部員の待遇改善要求闘争の委員長に推され、“桃色争議”として話題を呼んだ。以後もトップスターとして「ウインナ・ワルツ」「ベラ・ドンナ」「椿姫物語」「ローズ・マリー」「リオ・グランデ」「ロマンス・パレード」「オペラ・ハット」「祖国」などの舞台に出演、特にパリの伊達男役を演じた「タンゴ・ローザ」は160回の上演新記録をつくり、松竹レビュー始まって以来の傑作といわれた。14年ノイローゼのため人気絶頂で退団し、渡米。15年帰国。17年マネージャーの兼松廉吉と劇団たんぽぽを結成(命名は今東光)、音楽喜劇「おしゃべり村」がヒット。23年解散。24年大映と契約、映画「花くらべ狸御殿」に狸の美青年役で出演、大ヒットとなった。27年兼松が鶴田浩二を押し立てて作った新生プロダクションに参加。28年「さようならターキー・輝く王座」で舞台から引退した。29年日活とプロデューサー契約を結び、女性初の映画プロデューサーに転身。31年映画「太陽の季節」を製作した際、原作者・石原慎太郎の実弟である石原裕次郎のスター性を見抜き、主人公の友人役に起用。「狂った果実」では主演に抜擢して、昭和を代表するスターに育て上げた。他にも岡田真澄、津川雅彦、和泉雅子らを発掘。日活映画の黄金期を支え、45年「反逆のメロディー」を最後にプロデューサーを退くまで76本の映画を製作した。映画製作に比べて出演は少ないが、「サンダカン八番娼館・望郷」の女将役は高い評価を得た。一方、NHKのテレビ放送開始と同時に始まったクイズ番組「ジェスチャー」に女性軍キャプテンとして出演、男性軍キャプテンの柳家金語楼とともに人気を博し、15年間務めた。また、フジテレビの歌番組「オールスター家族対抗歌合戦」の審査員、テレビ朝日の昼のバラエティ「独占!女の60分」の司会などでもお茶の間に親しまれた。28年と32年NHK「紅白歌合戦」の紅組司会。49年「だいこんの花」で森繁久弥の相手役を務め、テレビドラマに初出演。60年当時、世を席巻していた“ロス疑惑”の三浦和義容疑者の叔母であることがわかり、“隠し子”騒動にも発展。これを機に表舞台から引退し、本名も三浦ウメから芸名の水の江滝子に改めた。平成5年親しい芸能関係者や友人を招き、森繁を葬儀委員長に“生前葬”を行って話題となり、6年の映画「女ざかり」を最後に芸能界を引退。16年テレビ朝日「時代を作った女たち」で生前葬以来11年ぶりにテレビに出演した。一方、ジュエリーデザイナーとして指輪、イヤリングなども制作した。21年94歳で亡くなった。自伝「ひまわり婆っちゃま」の他、「ターキー放談 笑った、泣いた」「みんな裕ちゃんが好きだった」「ターキーの気まぐれ日記」などの著書もある。
- 受賞
- 毎日映画コンクール特別賞(第64回 平21年度)
- 没年月日
- 平成21年 11月16日 (2009年)
- 親族
- 甥=三浦 和義
- 伝記
- タアキイ―水の江滝子伝みんな裕ちゃんが好きだった―ターキーと裕次郎と監督たちひまわり婆っちゃま―女の自叙伝 中山 千夏 著水の江 滝子 著,阿部 和江 聞き書き水の江 滝子 著(発行元 新潮社文園社婦人画報社 ’93’91’88発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
水の江滝子
みずのえたきこ
(1915―2009)
女優、芸能プロデューサー。本名三浦ウメ。北海道生まれ。1928年(昭和3)東京松竹楽劇部(後の松竹少女歌劇団、松竹歌劇団)の第1期生として入団。芸名は万葉集のなかから、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の「あしかものさわぐ入江の水の江の 世に住みがたき我が身なりけり」からとって水の江たき子としたが、1930年に滝子と改めた。同年9月、浅草松竹座での『松竹オンパレード』で、司会役の紳士に扮(ふん)した際、他に先駆けて断髪姿で登場、一躍評判となり「男装の麗人」なる流行語も生れた。翌1931年11月、新宿新歌舞伎座(かぶきざ)での『万華鏡』では、カウボーイの役を演じ、拳銃(けんじゅう)を構えて「俺(おれ)はミズノーエ・ターキーだあ」と見得を切ったのが受けて、以後「ターキー」の愛称でよばれるようになり、颯爽(さっそう)とした男役ぶり、ダイナミックな演技で人気を不動のものにした。1933年の6月、浅草松竹座での『真夏の夜の夢』公演中に楽団員の待遇改善要求に端を発した争議が本格化、歌劇部員も合流してのストライキに発展、水の江が闘争委員長となり、ジャーナリズムに「桃色争議」と書き立てられた。同年10月の争議解決後、水の江がパリの伊達男(だておとこ)に扮した『タンゴ・ローザ』は松竹レビュー始まって以来の傑作といわれ、計160回という上演新記録を打ち立てた。1939年5月、芸術親善使節として渡米、各地で歌や踊りを披露した。
1942年に松竹少女歌劇団を退団して「劇団たんぽぽ」を結成、翌1943年1月に東京丸の内の邦楽座で旗揚げ、数々の優れた音楽喜劇を上演して女優としての新境地を開いた。しかし、途中で有力座員の大部分が抜けたのが致命傷となり、1948年1月に解散した。映画への初出演は1946年1月に封切りの松竹映画『グランド・ショウ一九四六年』だったが、劇団解散後は単独でミュージカル・ショーの舞台や各種映画にも出演するなどして活躍を続けた。1958年6月、浅草国際劇場で『さよならターキー・輝く王座』と題して盛大に引退興行を行った。その後はテレビ出演のかたわら、プロデューサーとして石原裕次郎ら多くのスターを育てたほか、映画やテレビ番組の制作にも従事した。また装飾品のデザイナーとしても知られる。1993年(平成5)2月19日の満78歳の誕生日前日に生前葬を行った。著書に『ターキー放談笑った、泣いた』(1984)などがある。
[向井爽也]
『『華麗なる三婆――文句があったら言ってみな』(1982・山手書房)』▽『『ターキー放談笑った、泣いた』(1984・文園社)』▽『『水の江滝子のジュエリーメーキング』(1988・山海堂)』▽『『ひまわり婆っちゃま』(1988・婦人画報社)』▽『『みんな裕ちゃんが好きだった――ターキーと裕次郎と監督たち』(1991・文園社)』▽『『ターキーの気まぐれ日記』(1998・文園社)』
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水の江滝子
みずのえたきこ
[生]1915.2.20. 北海道,小樽
女優,プロデューサー。本名三浦ウメ。高等小学校在学中,松竹少女歌劇団創設に伴い第1期生となる。 1928年「水の江たき子」として初舞台。 30年滝子と改め,髪をショートカットにした男装の麗人スタイルで登場。翌年『万華鏡』のカウボーイ役で「おれはミズノエターキーだ」と言ったのが受けて「ターキー」の愛称で爆発的な人気を集め,以後劇団のリーダー的存在として活躍。 39年退団後は劇団「たんぽぽ」の女座長として,またレビュー,映画などで活躍したが,53年引退。日活映画のプロデューサーに転じ,浅丘ルリ子,石原裕次郎らを発掘した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
水の江滝子 みずのえ-たきこ
1915-2009 昭和時代の女優,映画プロデューサー。
大正4年2月20日生まれ。昭和3年東京松竹楽劇部(松竹歌劇団の前身)1期生。男装の麗人として人気をあつめ,ターキーの愛称で知られた。14年退団。29年日活プロデューサーとなり,「太陽の季節」「狂った果実」などを手がけ,石原裕次郎らをそだてた。またNHKテレビ「ジェスチャー」などに出演。のちジュエリーアーチストとして活躍。平成21年11月16日死去。94歳。北海道出身。目黒高女卒。本名は三浦ウメ。
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世界大百科事典(旧版)内の水の江滝子の言及
【少女歌劇】より
…37年に3600人収容の浅草国際劇場が新築開場,ここが本拠地となった。当時は,ショートカットにシルクハット,タキシードのスタイルで〈男装の麗人〉として人気をさらい〈ターキー〉の愛称で親しまれていた水の江滝子(1915‐ )の人気絶頂期であり,またオリエ津阪らも幹部であった。しかし,戦争の激化とともに,やはり苦しい道を歩むこととなり,44年には同歌劇団を解消して松竹芸能本部女子挺身隊を結成した。…
※「水の江滝子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」