日本歴史地名大系 「水江村」の解説 水江村みずえむら 岡山県:浅口郡船穂町水江村[現在地名]船穂町水江西高梁(にしたかはし)川右岸に位置し、北は愛宕(あたご)山(一〇三・九メートル)を境に柳井原(やないばら)村、南は上船尾(かみふなお)村、西は二万(にま)村(現吉備郡真備町)。又串(またぐし)村とも称する。また対岸の窪屋(くぼや)郡水江村(現倉敷市)は古水江(こみずえ)とよばれ、当村は西水江村とも通称された。往昔は当村付近まで海が湾入して一村をなしていたと考えられる。寛永備中国絵図では高五五石余。対岸の西原(にしばら)村(現倉敷市)から渡河して柳井原村との間を道が通り二万村に至る。 水江村みずえむら 岡山県:倉敷市旧都窪郡地区水江村[現在地名]倉敷市水江「備陽記」に「村東ハ大川也、西モ大川」と記すように東・西両高梁(たかはし)川に挟まれた「水村」(備陽国誌)であった。南部を横切る鴨方(かもがた)往来の東高梁川の渡しは「水江渡」と称され(同書)、通常の川幅は三八間と伝える(備中誌)。古名を一日市と伝える(備陽国誌)。「備中誌」は元和四年(一六一八)の新開発とする。寛永備中国絵図に水江村とみえ、高七四七石余、岡山藩領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by