とある。朝暉神社文書によれば小物成・浮役運上として銀八匁三分、漆二合、山椒五合三勺、綿三三七匁五分があった。
中世末―近世初期、当地に樽水氏が城を構えていた。丹波国福知山領伝記(森望家蔵)に、「樽水ニハ樽水縫殿ト云者、掻上城ヲ構テ住ス、和久庄笹尾ノ城主攻落スト云」とあり、天津文書には「豊住ノ庄樽水村、樽水主殿助ト云者、小城ヲ構て住す、塩見氏来る時落城すと云」とある。
南北に走る
村柄について、「徇行記」は「此村ハ農業第一ノ所ニテ漁人ハナシ。黒鍬ニハ四十人ホト江州アタリヘユケリ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報