水流村(読み)つるむら

日本歴史地名大系 「水流村」の解説

水流村
つるむら

[現在地名]都城上水流町かみづるちよう

高木たかぎ村の北にある。霧島山麓に続く丘陵東端の台地上で、南東境を大淀川北方丸谷まるたに川が北東へ流れる。古くは北東の水流村(下水流村)と合せ水流と称した。天文年間(一五三二―五五)の北原氏・伊東氏と北郷氏のたか(現高城町)をめぐる争いのなかで、同一一年二月、北郷方は北原領に乱入して「志和池・水流縄瀬」の麦を薙ぎ払い、獺越うそごえに乱入し矢軍があった(「北郷家家譜写」北郷文書)。慶長四年(一五九九)の庄内合戦の際の同年一一月一八日、志和池しわち城を攻撃中の島津方の北郷長千代丸は水流名内とされる「荒瀬」に伏兵を置き、高城からの伊集院方の軍勢を撃退した(「北郷忠能譜」旧記雑録)。合戦終結後の同六年一月二八日には、志和池の水流村一千石が北郷作左衛門(三久)に加増された(「島津忠長外三名連署加増目録」同書)


水流村
つるむら

[現在地名]都城市下水流町しもづるちよう

水流村(上水流村)の北東にある。村域の西半は霧島山系の丘陵、北と東の境界を流れる大淀川に面した東半部は穀倉地帯である。古くは水流村(上水流村)と合せ水流と称した。寛文四年(一六六四)の諸県郡村高辻帳に水流村とみえ、表高一千一一一石余。近世初期には鹿児島藩紙屋かみや郷内であったが、延宝八年(一六八〇)高原たかはる郷から高崎たかさき郷が外城として分割され、翌年紙屋郷が野尻のじり郷に合併されたのに伴い、旧紙屋郷内水流村は用夫九三人を添えて高原郷に組入れられた(「年代記」三州御治世要覧)。これにより諸郷帳類では水流村だが、都城島津家領志和池しわち郷内水流村が上水流村とよばれたのに対し、高原郷内水流村は下水流村と通称された。天保郷帳など幕府提出の文書ではいずれも表高一千一一一石余。


水流村
つるむら

[現在地名]えびの市水流

向江むかえ村の北、北東から南西へ流れる川内せんだい川が大きく湾曲した地点の北側にあたる。江戸時代には吉田よしだ郷に属した。古くは鶴田つるだ村と称したとされる(三州御治世要覧)。ただし慶長一九年(一六一四)の川上久好・頴娃久政連署知行目録(喜入肝付家文書)には、真幸吉田まさきよしだの「津留村之内」とあり、同所の三七二石余などが肝付長三郎(兼武)へ与えられている。寛文四年(一六六四)の諸県郡村高辻帳では鶴田村とあり、表高四一〇石余。「三州御治世要覧」で水流村とみえ、内高四五三石余。幕府提出の郷帳類では鶴田村だが、鹿児島藩領内では水流村と称された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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