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水野忠之 みずの ただゆき

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

水野忠之 みずの-ただゆき

1669-1731 江戸時代前期-中期の大名。
寛文9年6月7日生まれ。水野忠春の4男。元禄(げんろく)12年(1699)三河(愛知県)岡崎藩主水野家4代となる。享保(きょうほう)2年老中。7年享保の改革の財政責任者となり,功により1万石を加増されたが,米価政策の失敗で世の不評をかった。享保16年3月18日死去。63歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

水野忠之

没年:享保16.3.18(1731.4.24)
生年:寛文9(1669)
江戸中期の大名。享保の改革前半期の老中。斎宮,主水,監物,和泉守を称する。三河国(愛知県)岡崎藩主水野忠春の4男で,同族の旗本水野忠近の養子となり,御使番,新番頭を勤める。元禄12(1699)年実家の兄忠盈の死により遺領を継ぎ岡崎藩主となった。同14年の浅野長矩刃傷事件の際には,浅野家の屋敷へ赴き家臣の鎮静に努めた。その後奏者番,若年寄,京都所司代を歴任し,享保2(1717)年,享保の改革の開始直後に老中に任ぜられる。同7年改革の財政再建の最高責任者である勝手掛老中に任命され,年貢増徴や新田開発などの増収政策を積極的にすすめ,幕府を財政危機の窮地から救った。しかし,その政策は社会に深刻な不況と米価の急落をもたらし,人々の不満,批判は忠之に集中。当時流行した物揃には,「無理で人をこまらせる物,生酔と水野和泉守」(『享保世話』)などというものもあった。同15年病を理由に老中を辞任するが,悪評の責任をとらされての罷免という説もある。

(大石学)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

みずのただゆき【水野忠之】

1669‐1731(寛文9‐享保16)
江戸中期の三河国岡崎5万石の譜代大名享保改革前期を担当した老中。斎宮,主水,監物,和泉守と称する。兄忠盈(ただみつ)の後をうけ1699年(元禄12)遺領を継ぐ。1717年(享保2)徳川吉宗により老中に任ぜられ,22年5月勝手掛(かつてがかり)老中となって,年貢増徴,新田開発などの財政改革を行った。25年10月1万石加増で6万石となる。30年6月増徴による米価低落など政策失敗の非難をうけ,突然老中を辞任したが,罷免のうわさもある。

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世界大百科事典内の水野忠之の言及

【岡崎藩】より

…三河国(愛知県)岡崎に藩庁を置いた譜代中藩。徳川家康はこの地を本拠に独立し,のち天下統一に乗り出した。1590年(天正18)家康の関東移封後,豊臣秀吉によって田中吉政が岡崎に封ぜられたが,1601年(慶長6)関ヶ原の戦の功によって筑後久留米に移され,かわって家康の腹心の一人本多康重が5万石で入封した。康重は領内検地を実施,天守閣を築き,城下町の整備につとめるなど藩政の成立に努力した。康重のあと康紀,忠利とつづき,45年(正保2)利長のとき遠江国横須賀に移され,水野忠善が三河国吉田から5万石で入封した。…

【勝手掛】より

…1712年(正徳2)中絶,17年(享保2)復活した。22年水野忠之が就任,前年の勘定所勝手方分課に対応し改革を行った。37年(元文2)松平乗邑が任じて年貢増徴を進めた。…

【徳川吉宗】より

…まず吉宗は厳しい緊縮政策を施行したが,とくに貨幣の改良・統一(正徳・享保金銀)による通貨量の急速な収縮策と,商人・職人の同業組合の統制力を利用しての消費抑制策とは新政策であった。22年には老中水野忠之を財政専任とし,本格的財政再建に着手し,諸大名に領地1万石につき100石の上米(あげまい)を出させて当面の急をしのぎつつ,新田開発,検見法の改革,年貢率引上げ,定免制施行などにより年貢増徴をはかり,かなりの成果をあげた。ところがその矛盾が不況,米価下落,農民の年貢減免要求などの形で表面化し,32年には瀬戸内海沿岸を中心に大飢饉が発生し(享保の飢饉),翌年1月には江戸ではじめて〈打毀(うちこわし)〉が起こった。…

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