氷川女体神社(読み)ひかわによたいじんじや

日本歴史地名大系 「氷川女体神社」の解説

氷川女体神社
ひかわによたいじんじや

[現在地名]浦和市宮本

見沼低地を望む台地の先端にある。見沼に座す神を祀る社で、社名から女神であったと考えられる。祭神は奇稲田姫命・三穂津姫命・大己貴命の三柱。旧三室みむろ郷の総鎮守と伝える。旧郷社。神社の成立は見沼の信仰に由来するものと考えられる。見沼は神社の御手洗瀬としての御沼を意味する。由緒では崇神天皇の時代の創建とされ、当社と現在の大宮市高鼻たかはなの氷川神社(男体社)、同市中川なかがわの氷川神社(氷王子社、現中山神社)の三社を併せて氷川神社として祀ったという(神社明細帳)中世には武人尊崇が厚く、社蔵の三鱗文兵庫鎖太刀(県指定文化財)は北条泰時の奉納と伝える。正慶二年(一三三三)以降、無量寿むりようじゆ(現川越市)の性尊らが河越(平)氏繁栄のために大般若経を書写しており、永禄四年(一五六一)から同六年にかけては小田原北条氏の支配を逃れて当社に来住した仙波せんば中院(現川越市)芸が、庇護者である岩付太田氏の戦勝を祈願して大般若経の真読を行っている(社蔵「大般若経」識語)。元亀三年(一五七二)北条氏は虎の印判なくして竹木を伐採することを禁止するなど、「女躰宮神主」に宛てて禁制を発給している(一〇月二一日「北条家印判状」氷川女体神社文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「氷川女体神社」の解説

氷川女体神社

埼玉県さいたま市にある神社。祭神は稲田姫命(いなだひめのみこと)、三穂津姫命(みほつひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)。武蔵国一之宮。

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