コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

山中幸盛 やまなかゆきもり

4件 の用語解説(山中幸盛の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山中幸盛
やまなかゆきもり

[生]天文9(1540).出雲
[没]天正6(1578).7.17. 備中
戦国時代の武将。亀井を姓ともする。通称は初め甚次郎 (じんじろう) ,のち鹿之助,鹿之介,鹿介とも記されるが,自署はいずれも鹿介と記された。満幸の子。永禄3 (1560) 年家督を継ぎ,尼子義久に仕え,伯耆尾高城を攻め落し勇名をはせた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山中幸盛 やまなか-ゆきもり

?-1578 戦国-織豊時代の武将。
尼子勝久をたてて主家再興をはかる。一時は出雲(いずも)(島根県)の大半を奪回するが,毛利氏の反撃にあい敗退。のち羽柴(豊臣)秀吉の中国攻めにくわわり,播磨(はりま)上月(こうづき)城をまもるが,ふたたび敗れて捕らえられ,天正(てんしょう)6年7月17日護送中に殺された。尼子十勇士の首領として後世人気をあつめた。通称は鹿介(しかのすけ)。
【格言など】願わくは我に七難八苦を与え給え(「陰徳太平記」)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

山中幸盛

没年:天正6.7.17(1578.8.20)
生年:天文14?(1545)
戦国時代の武将。父は尼子経久の家臣山中三河守満幸,母は立原佐渡守綱重の娘という。通称鹿介(鹿之介は誤り)。出生と幼時期については種々伝えられているが未詳。一時亀井氏の養子となるが,のち兄甚太郎に代わって山中氏の家督を継ぐ。永禄5(1562)年の毛利氏の出雲(島根県)侵入以後,尼子氏の武将として活躍。同9年,出雲富田(月山)城が開城したのちは,浪人となって上洛,立原久綱らと共に主家尼子家の再興に奔走する。同11年,京都東福寺にいた尼子勝久を還俗させて擁立,隠岐から出雲に侵入して新山城に拠り,豊後大友氏と連携して,一時出雲の大半を回復。しかし,毛利氏の反攻にあい,元亀1(1570)年出雲布部山(広瀬町),翌年伯耆末吉城(鳥取県大山町)などで敗北。吉川元春に捕らえられ,尾高泉山城(米子市)に幽閉されたが脱走,上洛して織田信長を頼り,以後織田・毛利の対立のうちに活路を見いだそうとする。天正1(1573)年,信長の援助を得て因幡に侵入,鳥取城を落とすなど再び吉川勢と戦ったが,同4年若桜鬼城(鳥取県若桜町)を落とされて京都に逃れた。翌年羽柴(豊臣)秀吉の中国経略に従い,勝久,久綱らと共に播磨佐用郡上月城を守ったが,毛利軍の攻撃にあって翌年7月2日落城。勝久は自刃,鹿介は再び捕らえられ,安芸毛利輝元のもとに送られる途中,備中阿井の渡(岡山県高梁市落合)で殺された。 以上の生涯は,自ら艱難辛苦を求めて主家再興に尽くした勇士として,近世以後大衆の人気を集めてきた。特に,寛永2(1625)年の小瀬甫庵甫庵太閤記』が三日月に祈る鹿介像を提示して以来,頼山陽の鹿介を詠んだ漢詩の影響などもあって,史実とは関係なくこういった鹿介像が独り歩きをし,昭和11(1936)年に至り国定教科書の「三日月の影」に登場する鹿介は,まさに「忠君の士」としてのそれであった。<参考文献>米原正義編『山中鹿介のすべて』,藤岡大拙『山中鹿介紀行』

(井上寛司)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山中幸盛
やまなかゆきもり

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

山中幸盛の関連キーワード尼子義久尼子山中鹿之助安芸椿坊尼子国久尼子豊久尼子久幸武田光和松田左近妻矢野五郎左衛門

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

山中幸盛の関連情報