山中幸盛(読み)やまなかゆきもり

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山中幸盛」の意味・わかりやすい解説

山中幸盛
やまなかゆきもり

[生]天文9(1540).出雲
[没]天正6(1578).7.17. 備中
戦国時代の武将亀井を姓ともする。通称は初め甚次郎 (じんじろう) ,のち鹿之助,鹿之介,鹿介とも記されるが,自署はいずれも鹿介と記された。満幸の子。永禄3 (1560) 年家督を継ぎ,尼子義久に仕え,伯耆尾高城を攻め落し勇名をはせた。同9年尼子氏が毛利氏に敗れて降伏したが,幸盛は尼子氏再興に力を尽し,豊臣秀吉に支援を求め,その中国征伐に従軍し,播磨上月城に拠って毛利氏に対抗した。しかし天正6 (78) 年落城して捕えられ,毛利方へ送られる途中,備中高梁川合の渡で殺害された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山中幸盛」の解説

山中幸盛 やまなか-ゆきもり

?-1578 戦国-織豊時代の武将。
尼子勝久をたてて主家再興をはかる。一時は出雲(いずも)(島根県)の大半を奪回するが,毛利氏の反撃にあい敗退。のち羽柴(豊臣)秀吉中国攻めにくわわり,播磨(はりま)上月(こうづき)城をまもるが,ふたたび敗れて捕らえられ,天正(てんしょう)6年7月17日護送中に殺された。尼子十勇士首領として後世人気をあつめた。通称は鹿介(しかのすけ)。
格言など】願わくは我に七難八苦を与え給え(「陰徳太平記」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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