日本歴史地名大系 「江本村」の解説 江本村えのもとむら 富山県:富山市旧上新川郡地区江本村[現在地名]富山市江本林崎(はやしざき)村の北東に位置し、同村との間を飛騨街道(布市道)が通る。東は中布目(なかぬのめ)村。富山藩領。貞享二年(一六八五)当時は布目のうち江本とよばれていた(内山家文書)。享保二〇年(一七三五)の村立てとされ、布目村分村覚書(同文書)に「新川郡布目村、古高新田共千二百六十一石余之所ニ候所、定長ニ候テ通作以之外不手寄ニ付、不開作ニ相成候、依テ三ケ村ニ相分百姓居立茂三ケ所ニ引別申度旨」とあって、上布目・中布目・江本の三村に分村し、三五七石余をもって江本村が生れた。 江本村えもとむら 千葉県:長生郡長柄町江本村[現在地名]長柄町榎本(えもと)徳増(とくます)村の北東にあり、榎本ともみえる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に榎本村とみえ、高四〇三石。元禄郷帳では高四二一石余で、幕末まで同様。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数五四、旗本安藤領。幕末も同領。本合(ほんごう)に二(に)ノ宮(みや)神社が鎮座。八反目(はつたんめ)に天台宗長栄(ちようえい)寺・日蓮宗沾通(てんつう)寺がある。旧真福(しんぷく)寺跡から宋代の青磁・白磁の破片が発見され、本尊と伝える阿弥陀如来坐像(現長栄寺蔵)は平安時代末期作という。二ノ宮神社の地にあったとされる榎本城主の菩提寺であったと伝える。 江本村えもとむら 兵庫県:豊岡市江本村[現在地名]豊岡市江本塩津(しおつ)村の南に接する。もと今森(いまもり)村の枝村(天保郷帳)。江戸時代の領主の変遷は立野(たちの)村に同じ。宝暦七年(一七五七)の但馬国高一紙によると高三一一石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by