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菅井梅関 すがい ばいかん

美術人名辞典の解説

菅井梅関

江戸後期の画家。仙台生。名は智義、字は正卿、別号に東斎・梅館、通称は善輔・岳輔。はじめ根本常南に師事し、のち江戸の谷文晁、長崎の清人江稼圃らに学ぶ。山水画を得意とした。弘化2年(1845)歿、62才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

菅井梅関 すがい-ばいかん

1784-1844 江戸時代後期の画家。
天明4年10月27日生まれ。陸奥(むつ)仙台の人。江戸で谷文晁(ぶんちょう)に,長崎で清(しん)(中国)の江稼圃(こう-かほ)に文人画をまなぶ。のち大坂で画名をあげ,四十余歳で帰郷。天保(てんぽう)15年1月11日不遇のうちに死去。61歳。名は智義,岳。字(あざな)は正卿。通称は岳輔。別号に東斎。作品に「墨梅図」「夏冬山水図屏風」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

菅井梅関

没年:弘化1.1.11(1844.2.28)
生年:天明4.10.27(1784.12.9)
江戸後期の画家。仙台藩の生まれ。名は岳,岳輔と称し,初め東斎と号した。郷里で根本常南に画を習い,江戸に出て谷文晁に学んだ。京都に上り,さらに長崎にしばらく遊学,ここで来日した清人画家江稼圃に師事した。この間京坂へ往来し,頼山陽篠崎小竹らと交わった。稼圃が帰国に際し,梅関の墨梅図を所望したが,これが清国で梅道人(呉鎮)に似ると評判になったのを知り,以後梅関と号したという。郷里に帰り,一生を独身で通し,晩年は不遇のうちに自殺した。雄勁な筆力で,特に墨梅を得意とした。代表作に「墨梅図」(東京国立博物館蔵),「夏冬山水図屏風」(ホノルル美術館蔵)がある。

(小川知二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

すがいばいかん【菅井梅関】

1784‐1844(天明4‐弘化1)
江戸後期の文人画家。仙台の人。名は岳。通称岳輔,初号東斎,諱(いみな)は知則。若いころより絵を好み,根本常南に元画風山水の手ほどきを受ける。江戸に出て谷文晁に学ぶが,そのもとを去って京坂に遊ぶ。たまたま清人江稼圃(こうかほ)の絵にひかれ,長崎へ赴いてその画法を学び,力強い山水画を得意とした。長崎にとどまること10年,やがて大坂に帰り,頼山陽,篠崎小竹はじめ多くの文人と交遊する。また江稼圃の弟芸閤とも親交があった。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

すがいばいかん【菅井梅関】

1784~1844) 江戸後期の文人画家。仙台の人。名は智義・岳輔、号は東斎・梅関。長崎で清の画家江稼圃に画を、弟の江芸閣に詩を学び、後に大坂で頼山陽・篠崎小竹と交友、晩年は仙台で活躍した。著「梅関詩集」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

菅井梅関
すがいばいかん

[生]天明4(1784).仙台
[没]天保15(1844).1.12. 仙台
江戸時代後期の南画家。名は岳,字は岳輔,号は東斎,梅館,梅関。幼時より絵が好きで家業を弟に譲り,江戸へ出て谷文晁に師事。のち京坂地方で名品の模写に努め,さらに長崎で江稼圃 (こうかほ) に学び,力強い筆法の山水画を得意とした。 10年余の長崎在住後,大坂へ移住して頼山陽,篠崎小竹らと交遊を重ね,40歳余で帰郷し伊達藩に仕え,終生独身で過した。主要作品『寒光雪峰図』 (1829) ,『小紅山水図』『墨梅図』 (東京国立博物館) 。

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367日誕生日大事典の解説

菅井梅関 (すがいばいかん)

生年月日:1784年10月27日
江戸時代後期の画家
1844年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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