改訂新版 世界大百科事典 「浮草物語」の意味・わかりやすい解説
浮草物語 (うきくさものがたり)
日本映画。小津安二郎監督の1934年松竹蒲田作品。《出来ごころ》(1933)に次いで坂本武が喜八という名の主人公を演じ,これに次ぐ《東京の宿》(1935)とともに〈喜八物〉と呼ばれる。1931年の五所平之助監督の《マダムと女房》以来,監督たちは次々とトーキーを目ざし,当時もっとも多くトーキー作品を作っていた松竹蒲田撮影所であったが,小津はかたくなに34年のこの作品まで完全なサイレントに固執した。東京の下町や学生街や郊外を好んで舞台にした小津が,例外的に物語を地方(上州高崎近辺の村)に設定し,喜八こと市川左半次を座長とする旅役者一座の巡業生活を描いている。巡業先の小料理屋の女(飯田蝶子)に生ませた子ども(三井秀男,のちの三井弘次)との再会を楽しむという設定も,息子と暮らす気のいい男やもめという他の〈喜八物〉の枠をこえている。ジョージ・フィッツモーリス監督のアメリカ映画《煩悩》(1928)からの〈いただき〉,すなわちヒントを得た作品で,ジェームス槙(小津安二郎のペンネーム)の原案により池田忠雄が脚色。小津によれば,それにさらにスティーブン・ロバーツ監督のアメリカ映画《歓呼の涯》(1932)や菊池寛の戯曲《父帰る》(1917)などをつきまぜた〈まるで五目飯のようなもの〉であったが,父親と知らずに喜八を慕う子どもという設定は完全なオリジナルである。父子並んで川で流し釣りをするシーンはとくに印象的で,この人間関係の構図は42年の《父ありき》でも使われている(再映画作品の《浮草》では海釣りになっている)。一座の女役者で喜八の愛人(というよりも,むしろ女房)おたか(八雲恵美子)が嫉妬(しつと)して,若い女優(坪内美子)に喜八の息子を誘惑させるが,若い2人はほんとうに恋におち,そして一座は解散といったメロドラマ的要素が濃いストーリー。戦前の小津作品のほとんどすべてのカメラを担当した茂原英朗(のち英雄)が撮影および編集を行って,むだのないシャープな映像を作り出して,ほとんど完ぺきの域に達し,小津の代表作の一つに数えられる。1934年度キネマ旬報ベストテン第1位。
59年,《浮草》の題で,同じ小津安二郎監督により大映でカラー作品(アグファカラー)として再映画化された。坂本武の役を中村鴈治郎が演じたが,役名は喜八ではなく(嵐駒十郎),したがって〈喜八物〉のリメークではない。座長の愛人の女役者を京マチ子,息子を川口浩,息子を誘惑する若い女優が若尾文子,そして飯田蝶子が演じた役を杉村春子が演じ,前作の息子役の三井弘次が一座の役者の1人で出演。当初,小津は《大根役者》の題名で北陸の雪の中で撮るイメージをもっていたが,雪不足のため舞台を夏の紀州に移し,光にあふれた強烈な色彩の効果(庭のハゲイトウの赤,画面を圧倒する蛇の目傘の赤,等々)を出すことに成功した。撮影は黒沢明監督《羅生門》(1950),溝口健二監督《雨月物語》(1953),《近松物語》(1954)の名カメラマン,宮川一夫。座長と愛人の女役者が,雨の降る通りをはさんで両側の軒下に立って口げんかをする場面は新旧両作品の白眉の一つとなっているが,前作では雨が屋根から軒先を伝ってこぼれ落ちる程度だったのに対して,再映画化作品では夕立の豪雨となり,中村鴈治郎と京マチ子の雨中のどなり合いを忘れがたいものにしている。よりを戻した座長と女房とが夜汽車で酒をくみかわすラストシーンも同じだが,前作では本物の列車を使い,リメークではささやかにセット撮影をしている。外部の会社(大映)で撮るときの小津の遠慮がしのばれて興味深い。小津が松竹以外で撮った作品は,これのほか《宗方姉妹》(1950,新東宝)《小早川家の秋》(1961,東宝)のみである。
執筆者:蓮實 重
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報