河内桃子(読み)コウチ モモコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「河内桃子」の解説

河内 桃子
コウチ モモコ


職業
女優

本名
久松 桃子

旧名・旧姓
大河内

生年月日
昭和7年 3月7日

出生地
東京市 下谷区谷中(東京都 台東区)

学歴
日本女子大附属高〔昭和25年〕卒,俳優座養成所(第8期生)〔昭和34年〕卒

経歴
貿易会社のタイピストを経て、昭和28年東宝6期ニューフェイスに合格し入社。同年「女心はひと筋に」でデビュー。「ゴジラ」のヒロイン役が好評だったためお嬢さん役が続くが、演技の勉強をし直そうと31年俳優座養成所に入所。34年俳優座に入座、同年「十二夜」オリビア役で初舞台。以後、俳優座の中堅女優として「三文オペラ」「アンナ・カレーニナ」「オセロ」「女の平和」「毒婦の父」「背信」「マクベス」「ヴェニス商人」などに出演、気品のある演技で実績を重ねた。独り芝居にも取り組んだ。映画・テレビの出演も多い。また、55年には朗読をとおしての布教への功績をたたえられ、ローマ法王より聖十字架章を、平成8年には聖シルベストロ騎士団長章を贈られた。

受賞
聖十字架章(ローマ法王)〔昭和55年〕,紀伊国屋演劇賞〔昭和55年〕「背信」,日本シェークスピア賞(女優賞 第2回)〔平成5年〕,聖シルベストロ騎士団長章(ローマ法王)〔平成8年〕

没年月日
平成10年 11月5日 (1998年)

家族
父=大河内 信敬(洋画家),祖父=大河内 正敏(元子爵)

伝記
老いることをどうして怖がるんですか患者の言い分―「いのちの取材ノート」より ひろ さちや 著山内 喜美子 著(発行元 飛鳥新社時事通信社 ’03’99発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「河内桃子」の解説

河内 桃子
コウチ モモコ

昭和・平成期の女優



生年
昭和7(1932)年3月7日

没年
平成10(1998)年11月5日

出生地
東京市下谷区谷中(現・東京都台東区)

本名
久松 桃子

旧姓(旧名)
大河内

学歴〔年〕
日本女子大附属高〔昭和25年〕卒,俳優座養成所(第8期生)〔昭和34年〕卒

主な受賞名〔年〕
聖十字架章(ローマ法王)〔昭和55年〕,紀伊国屋演劇賞〔昭和55年〕「背信」,日本シェークスピア賞(女優賞 第2回)〔平成5年〕,聖シルベストロ騎士団長章(ローマ法王)〔平成8年〕

経歴
貿易会社のタイピストを経て、昭和28年東宝6期ニューフェイスに合格し入社。同年「女心はひと筋に」でデビュー。「ゴジラ」のヒロイン役が好評だったためお嬢さん役が続くが、演技の勉強をし直そうと31年俳優座養成所に入所。34年俳優座に入座、同年「十二夜」オリビア役で初舞台。以後、俳優座の中堅女優として「三文オペラ」「アンナ・カレーニナ」「オセロ」「女の平和」「毒婦の父」「背信」「マクベス」「ヴェニスの商人」などに出演、気品のある演技で実績を重ねた。独り芝居にも取り組んだ。映画・テレビの出演も多い。また、55年には朗読をとおしての布教への功績をたたえられ、ローマ法王より聖十字架章を、平成8年には聖シルベストロ騎士団長章を贈られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河内桃子」の解説

河内桃子 こうち-ももこ

1932-1998 昭和後期-平成時代の女優。
昭和7年3月7日生まれ。昭和28年東宝に入社,「女心はひと筋に」でデビューし,翌年「ゴジラ」に出演。31年俳優座養成所にはいり,34年「十二夜」で初舞台,「ベニスの商人」「マクベス」などに出演。55年ピンター作「背信」で紀伊国屋演劇賞。テレビの「判決」「渡る世間は鬼ばかり」などにも出演。平成10年11月5日死去。66歳。東京出身。日本女子大付属高卒。本名は久松桃子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「河内桃子」の解説

河内 桃子 (こうち ももこ)

生年月日:1932年3月7日
昭和時代;平成時代の女優
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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