治陸寺跡(読み)じろくじあと

日本歴史地名大系 「治陸寺跡」の解説

治陸寺跡
じろくじあと

[現在地名]東和町木幡 大平

木幡こはた山中にあった天台宗寺院で、中・近世には弁才天宮(隠津島神社)別当寺であった。なお当寺は明治の神仏分離により廃寺となったが、近世に治陸寺の宗徒頭であった松本まつもと坊が大正六年(一九一七)治陸寺の名跡を継ぎ、現在天台宗寺院として存続している。木幡山治陸寺縁起(木幡山志)によれば大同年間(八〇六―八一〇)に開かれ、康平六年(一〇六三)に後冷泉院から治陸寺の名称と扁額を下賜されたという。また「松藩捜古」や「相生集」は「三代実録」元慶五年(八八一)一一月九日条に「以陸奥国安積郡弘隆寺為天台別院」とある弘隆こうりゆう寺を治陸寺の前身とするが確証はない。治陸寺に伝わった治陸国寺略縁起断簡(東和町史)によると、治陸寺は初め紫雲山興隆国こうりゆうこく寺と称し、木幡山の東の谷に広大な寺域を有し、のちに天台寺院として栄えた。薬師仏の胎内から貞治四年(一三六五)五月二〇日付の文書がみつかったという。なお現治陸寺蔵の永禄三年(一五六〇)二月一九日の弁才天像膝裏彩色銘に「木幡山治陸寺」とあり、これが確実な資料に山号・寺号がみえる早い例である。

文明一四年(一四八二)、天正五年(一五七七)の弁天堂棟札(東和町史)などから、当時治陸寺が修験であったことが知られるが、京都聖護しようご院の霞割や年行事制のなかには治陸寺の名がまったくみられず、羽山籠り等を考え合せると天台・真言いずれにも属さない羽黒修験の色彩が強い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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