日本歴史地名大系 「沼津・沼津郷」の解説
沼津・沼津郷
ぬまづ・ぬまづごう
沼津は元来
「吾妻鏡」承元二年(一二〇八)閏四月二日条によると、鎌倉鶴岡八幡宮の神宮寺建立のための用材が「狩野山之奥」から「沼津海」に運び出されている。狩野山は
応永二九年(一四二二)上杉禅秀の遺児上杉憲顕・教朝は京から関東に下り、「駿州沼津或ハ伊豆ノ三島」(喜連川判鑑)、「沼津千本松原」(鎌倉九代後記)などで戦っている。永享一〇年(一四三八)鎌倉公方足利持氏追討のため京から下った上杉持房らは、同年九月一〇日・一一日に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報