法華総持院(読み)ほつけそうじいん

日本歴史地名大系 「法華総持院」の解説

法華総持院
ほつけそうじいん

[現在地名]大津市坂本本町

東塔西谷にあり、九院十六院の一つ。惣堂分に含まれる。中央の東塔を中心に南に灌頂かんじよう堂、北に阿弥陀堂寂光じやつこう堂が立並び、各堂舎は回廊で結ばれる。東塔は最澄が諸国安鎮のため日本の六ヵ所に造立を計画した宝塔院(天台法華院)の総安鎮所であり、比叡山を三塔に区分する契機となった。近江宝塔おうみほうとう院・東塔院・惣持院とも。

近江若狭・越前寺院神社大事典〉

〔近江宝塔院〕

当院の創建は貞観四年(八六二)までさかのぼり、円仁が入唐中に見聞した唐都長安青龍せいりゆう寺の鎮国道場の形態を模し、天台密教の根本道場として一〇年の歳月をかけ完成したもので(三院記・山門堂舎記・九院仏閣抄)、円仁の上奏で一四僧が常置され、永く修法させた(「三代実録」貞観六年一月一四日条)。「延喜式」主税寮によれば当院料四万束、修理料穀七〇〇石などが定められている。平安末期までさかのぼりうるという現存最古の「東塔絵図」によれば、多宝たほう(東塔のことで胎蔵界五仏を安置)を中心に左右に灌頂堂(胎蔵界金剛界両大曼荼羅を安置)真言しんごん(熾盛光大曼荼羅を安置)が並び、さらに灌頂阿闍梨房・僧房楼門・舞台などの建物や、それらを四面の回廊が結ぶという初期叡山屈指の大伽藍であったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報