根本中堂(読み)こんぽんちゅうどう

精選版 日本国語大辞典 「根本中堂」の意味・読み・例文・類語

こんぽん‐ちゅうどう ‥チュウダウ【根本中堂】

(古くは「こんぼんちゅうどう」) 比叡山(ひえいざん)延暦寺の本堂。最澄が延暦七年(七八八)に創建した一乗止観院が前身。天台宗の本堂の代表的なもの。現在のものは寛永一七年(一六四〇)再建された。国宝。

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デジタル大辞泉 「根本中堂」の意味・読み・例文・類語

こんぽん‐ちゅうどう〔‐チユウダウ〕【根本中堂】

比叡山ひえいざん東塔にある、延暦寺えんりゃくじの本堂。最澄が延暦7年(788)に創建した一乗止観院が前身。現在のものは寛永17年(1640)の再建。国宝。
[補説]天台宗の寺院では、本堂にあたる建物を「根本中堂」と自称するところもある。寛永寺立石寺など。

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日本歴史地名大系 「根本中堂」の解説

根本中堂
こんぽんちゆうどう

[現在地名]大津市坂本本町

東塔の中心部にある比叡山延暦寺の総本堂で、延暦七年(七八八)最澄により建立された比叡山で最初の堂宇。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔堂宇の整備〕

当初は一乗止観いちじようしかん院と号し、また根本一乗止観こんぽんいちじようしかん院・根本止観院・中堂などとも称され、九院十六院の第一に数えられる。当堂の建物は「山門堂舎記」などに引く貞観元年(八五九)九月二五日の勘定資財帳によれば、本堂の薬師堂(根本薬師堂)を中心として北に文殊もんじゆ堂、南に経蔵の三つの堂宇からなり、いずれも檜皮葺五間の小規模なものであった。薬師堂の本尊は、最澄が延暦四年二〇歳のとき初めて比叡の霊峰にわけ入り、東塔北谷虚空蔵こくぞう尾の霊木をもって祈請を凝らし一刀三礼しつつ最澄手づから刻んだ薬師瑠璃光如来と伝える。最澄は同七年当堂にこの薬師仏を奉安し、その宝前に灯明を掲げ、「明らけくのちの仏のみ世までも光り伝へよ法のともしび」(新拾遺集)と詠んだとされ、この年を比叡山開創の年と定めている。以来最澄のともした灯火は一千二〇〇年間消えることなく輝き続けているので、不滅の法灯とよばれる。

最澄創建の薬師・文殊・経蔵の三堂は、智証大師円珍により元慶六年(八八二)から仁和三年(八八七)にわたって九間四面の大堂に建替えられ、大堂内に三つの堂(薬師堂五間、文殊堂と経蔵各二間)が納められることになった(「山門堂舎記」「九院仏閣抄」など)。承平五年(九三五)三月五日、比叡山開創以来の大火災にみまわれ(日本紀略・扶桑略記)、堂舎僧坊四〇余宇ともに焼失。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「根本中堂」の意味・わかりやすい解説

根本中堂
こんぽんちゅうどう

比叡山(ひえいざん)東塔にある延暦寺(えんりゃくじ)の中心道場。もとは最澄(さいちょう)が創建した一乗止観院(いちじょうしかんいん)で、薬師堂を中心に文殊堂(もんじゅどう)と経蔵(きょうぞう)が東面して一線に並んだものであったが、円珍(えんちん)が882年(元慶6)に三堂を九門四面の一堂に収め(一堂三隔)、薬師堂を中堂と称したのが現在の原型である。現在の中堂(国宝)は、織田信長の焼打ち後に徳川家光(いえみつ)が再建したものであり、その構造は単層入母屋造(いりもやづくり)の堂の前庭を回廊で取り巻き、修法する内陣は3メートル低い石畳、天皇(勅使)の座である外陣(げじん)は一段高い床張りという独自の形式である。秘仏の薬師如来厨子(やくしにょらいずし)の前には、元亀法難(げんきほうなん)(1571)の際に山形県の立石寺(りっしゃくじ)に移されてあった不滅の法灯(灯明)が1000余年の伝灯を伝えている。滋賀県大津市坂本本町。

[塩入良道]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「根本中堂」の意味・わかりやすい解説

根本中堂
こんぽんちゅうどう

京都比叡山の東塔にある建物。一山の中心となる建物の意。延暦7 (788) 年に最澄が創建した。現在の堂は,寛永年間 (1624~44) に再建された。

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世界大百科事典(旧版)内の根本中堂の言及

【延暦寺】より

…しかし,室町時代以降,荘園制の衰退とともに寺運もしだいにおとろえ,1571年(元亀2)の織田信長の延暦寺焼打によって山門の世俗的権勢は武家政権の前に屈した。その後豊臣,徳川2氏が寺領を寄進して諸堂の復興を助け,1636年(寛永13)には根本中堂の復興が成り,しだいに旧観に復した。園城寺日吉大社
[堂塔]
 近江,山城2国にわたる広大な山上の寺域は三塔(東塔,西塔,横川(よかわ)),十六谷に分かれる。…

【延暦寺】より

…しかし,室町時代以降,荘園制の衰退とともに寺運もしだいにおとろえ,1571年(元亀2)の織田信長の延暦寺焼打によって山門の世俗的権勢は武家政権の前に屈した。その後豊臣,徳川2氏が寺領を寄進して諸堂の復興を助け,1636年(寛永13)には根本中堂の復興が成り,しだいに旧観に復した。園城寺日吉大社
[堂塔]
 近江,山城2国にわたる広大な山上の寺域は三塔(東塔,西塔,横川(よかわ)),十六谷に分かれる。…

【延暦寺焼打】より

…1571年(元亀2)9月12日,織田信長が比叡山延暦寺の根本中堂,山王二十一社をはじめとする諸堂社をことごとく焼き払った事件。前年9月,三好三人衆,本願寺顕如に呼応して南近江に兵を進めた浅井・朝倉軍の一部は叡山に拠って信長に対抗した。…

※「根本中堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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