盂蘭盆会(読み)ウラボンエ

デジタル大辞泉 「盂蘭盆会」の意味・読み・例文・類語

うらぼん‐え〔‐ヱ〕【××蘭盆会】

盂蘭盆」に同じ。 秋》

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精選版 日本国語大辞典 「盂蘭盆会」の意味・読み・例文・類語

うらぼん‐え‥ヱ【盂蘭盆会】

  1. 〘 名詞 〙うらぼん(盂蘭盆)〔俳諧・増山の井(1663)〕

盂蘭盆会の補助注記

「書紀‐斉明三年九月」に「作須彌山像於飛鳥寺西、且設盂蘭瓫会」という例があるが、北野本訓では「盂蘭瓫会(ウランボンノヲガミ)を設(まう)く」となっている。

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改訂新版 世界大百科事典 「盂蘭盆会」の意味・わかりやすい解説

盂蘭盆会 (うらぼんえ)

陰暦7月15日を中心に行われる祖霊供養の法会。盂蘭盆供会,盂蘭盆祭ともいい,略して盂蘭盆と称し,広く魂祭(たままつり),精霊会(しようりようえ),お盆などといわれる。

 盂蘭盆はサンスクリットavalambanaの転訛したullambanaの音写とされ,倒懸(さかさづり)の意で,《盂蘭盆経》によると,目連が餓鬼道に落ちた母の倒懸の苦しみを救おうとして,釈迦の教えに従って祭儀を設けて三宝に供養したことが起源であると説かれてきた。しかし最近ではこれを否定して,盂蘭盆の原語はイラン語系の死者の霊魂を意味するurvanであり,霊魂の祭祀と同時に収穫祭でもあったウルバンという祭祀が,イラン系ソグド人の中国進出とともに中国に伝えられ,畑作農業地帯の収穫祭として中元と結合したもので,仏教徒が自恣(じし)の日を中元に結びつけたことによって,今日に伝わる盂蘭盆会の原型が成立したとする説が出ている。サンスクリットのullambanaは《一切経音義》によって学者が復元したものにすぎず,実際のサンスクリット文献にはまったく見当たらないことや,盂蘭盆会には収穫祭としての性格が濃厚であることなどに着目すると,urvan説は注目される。

 日本では606年(推古14)に7月15日の斎会があり,657年(斉明3)には須弥山(しゆみせん)の像を飛鳥寺の西に作り,盂蘭盆会を設けた。翌々年には京内諸寺で盂蘭盆経を講じ,祖先を供養した。のち朝廷の恒例仏事となり,諸大寺でも行われ,しだいに民間の各寺院へ普及した。平安時代になると,空海など渡唐僧によって施餓鬼(せがき)の法が伝えられ,鎌倉時代にはこれが諸宗派に取り入れられ,室町時代には施餓鬼会が盛んに行われた。本来,盂蘭盆会と施餓鬼会は別種の法会であるが,餓鬼無縁仏とが同じ意味で理解されるようになり,盆中または盆の前後に施餓鬼会が行われるようになった。こうして盂蘭盆会と施餓鬼会とが密着し,盆施餓鬼は一般寺院の年中行事でも重要な位置を占めるに至った。

 盂蘭盆会は今日もなお寺院で盛んに営まれるが,民間でも盆と略称して,自家で祖霊や死霊の祭祀が行われる。寺院の盂蘭盆会も,訪れきたる霊魂を迎え,これを祭るという民俗基盤の上に成立している。民間の盆行事は正月行事とともに,重要な年中行事である。盆行事の本質は先祖祭祀にあるが,日本では仏教渡来以前から,正月と7月に魂祭が行われていたようであり,その初秋のほうの魂祭が仏教の伝えた盂蘭盆と習合して,広く盆とよばれだしてから,長い時日がたっている。祖先ないし死者の霊魂を迎え祭る初秋の霊魂祭祀には仏教的潤色が濃厚である。民間で盆とよばれる霊魂祭祀の季節は,現在旧暦のほか,新暦7月や月遅れの8月で行われる場合があって,同一地方でも一定しない。おおまかにいえば旧暦で行うところは東北,関東北部,中国,四国,九州地方に多く,関東南部から中部,近畿地方にかけては少ない。新暦7月に行うところは東京周辺や東北地方に稠密(ちゆうみつ)であり,八月盆は北海道や,新潟,群馬,埼玉,千葉の諸県を結ぶ線以西の地方に顕著である。盆の期間は,現在では13日から15,16日までとするのが普通であるが,7月1日を釜蓋朔日(かまぶたのついたち),8月1日を八朔(はつさく)盆というところがあるように,もとはもっと長い期間であったらしい。盆に迎える精霊(しようりよう)は祖霊(本仏),新仏(前年の盆から当年の盆までの死者),無縁仏または餓鬼仏(祭り手のなくなった仏)の3者である。これらの精霊を祭るために盆棚,精霊棚を設ける。棚は土地によって異なるが,青竹が用いられ,上にマコモのむしろやござを敷き,仏壇から位牌や法名軸を移し,花立,線香立など仏具も並べ,だんご,そうめん,季節の野菜,果物などを供え,水鉢を置くのが基本である。概して本仏の盆棚は仏壇のそばに設けられるのに対し,新仏の棚は縁側寄りの室内か廊下に,また無縁仏・餓鬼仏のそれは戸外に設けられる。盆棚は臨時の祭壇であるが,これが仏壇の原初形態とみられる。檀那寺から僧侶が各戸に出向き,精霊棚に読経するが,これを棚経といい,江戸時代から盛んとなった。また盆の期間に,精霊を供養するために盆踊が行われるが,位牌を背負って踊る土地も今に残っている。檀那寺の住職が踊りはじめることで盆踊が行われているところもある。
執筆者:

中国では,7月15日に百味の飲食を盆器に盛って衆僧施し,餓鬼道に落ちて倒懸の苦にあえいでいる7世の先祖父母を救う仏教行事として行われた(《仏説盂蘭盆経》による)。梁の武帝の538年(大同4),同泰寺において盂蘭盆斎が設けられたことが《仏祖統紀》第37に伝えられており,宗懍(そうりん)(500ごろ-564ごろ)の《荆楚歳時記》には当時民間にも流行していたことが記され,隋・唐初のころには広く行われていた。道家の中元節(7月15日)にも取り入れられた。中唐のころになって《目連変文》(敦煌文書の中に多く残されている)が現れると,《仏説盂蘭盆経》の所説に目連の地獄めぐりが付加され,元・明ではこの目連の地獄めぐりのことが戯曲や宝巻にもしくまれて,広く民間に流行した。これ自体は芸能であるが,きわめて仏教色の濃いもので,仏教行事としての盂蘭盆を考える際には無視できないものである。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「盂蘭盆会」の意味・わかりやすい解説

盂蘭盆会
うらぼんえ

お盆の仏事供養(くよう)または供養のための法要・儀式のことで、略して盆会、盆供(ぼんく)、盆といわれ、魂祭(たままつり)ともよばれる。盂蘭盆はサンスクリット語ウランバナullambana(倒懸(とうけん))の音訳とされる。おそらく5世紀前後に中国(あるいは西域(せいいき))でつくられたと思われる『盂蘭盆経(ぎょう)』が、この仏教行事の直接のよりどころである。この経によれば、目連(もくれん)尊者が、餓鬼道(がきどう)に落ちて苦しむ母親を救おうとし、仏陀(ぶっだ)(釈迦(しゃか))の教えに従い7月15日の自恣(じし)の日(夏3か月の修行の終わる日)に百味(ひゃくみ)の飲食(おんじき)を盆に盛り、修行を終えた僧たちに供養したところ、その僧たちの偉大な功徳(くどく)によって母親を救うことができたという説話(目連救母)に基づく。この故事によって、7月15日の盆供養は現在の父母のみならず7世の父母をも救いうると考えられ、中国では早くも南朝梁(りょう)の武帝(在位502~549)の時代に同泰寺で盂蘭盆斎が設けられ、以後、中国の年中行事の一つとなって大いに流行したという。日本にも7世紀のなかば以前に伝わり、飛鳥寺(あすかでら)の西に須弥山(しゅみせん)の形をつくって盂蘭盆会が催されたと伝えられる。733年(天平5)には宮中で盂蘭盆供養が催されており、以後、宮中の行事ともなった。また民間でもお盆の行事は正月と並ぶ重要な年中行事となったが、これは、農耕儀礼やそれにまつわる祖霊信仰のなかに仏教がうまく溶け込んだ結果であろう。

 盆供養の仕方は地方により多少異なる点があるが、盆棚(ぼんだな)、精霊棚(しょうりょうだな)をつくり、そこに祖先の霊を招いて僧侶(そうりょ)に棚経(たなぎょう)をあげてもらい、墓参り、寺参りをし、迎え火・送り火を焚(た)き、あるいは盆踊りをするという行事が広く行われている。お盆と中元との結び付きは中国で古くからあり、さらに施餓鬼会(せがきえ)とも習合するに至った。南方仏教、チベット仏教にはこの行事に相当する儀礼はない。

[岡部和雄]


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とっさの日本語便利帳 「盂蘭盆会」の解説

盂蘭盆会

七月一三日から一五日まで行われる、祖先の魂祭。お盆ともいう。「盂蘭盆」は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音訳で、倒懸(とうけん)の意。地獄の世界で逆さ吊りにされる死者への供養だと信じられている。しかし盂蘭盆会は、正月の行事と同じく、祖先の霊が各自の家に帰って来るのを迎える行事。正月に帰って来る祖先の霊は、死後三三年以上たって和御魂になった霊であり、お盆に帰って来る霊は荒御魂(あらみたま)であって、ホトケとも呼ばれ、怨霊的な性格が残っている霊である。そういう差はあるが、いずれも祖先の霊であり、これを家族の総員で迎えるのが本来の意味である。正月の行事は神道的、お盆の行事は仏教的と考えると分かりやすいであろう。なお、関東では七月にお盆の行事をするが、関西においては八月一三日から一五日に行われる。

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百科事典マイペディア 「盂蘭盆会」の意味・わかりやすい解説

盂蘭盆会【うらぼんえ】

サンスクリットのウランバーナullambana(倒懸)の音訳で,7月15日を中心に死者の霊をまつる行事。インドで夏安居(げあんご)の終わった日,死者がうけるさかさづりの苦悩を払うため供養したのが起源。日本では推古天皇14年(606年)の記録が古く,のち先祖供養や祖霊来訪の民俗信仰と習合して,現在では各地に種々の行事がある。→
→関連項目施餓鬼ミソハギ

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旺文社日本史事典 三訂版 「盂蘭盆会」の解説

盂蘭盆会
うらぼんえ

陰暦7月15日に祖先の霊を供養する行事
ウラボンは梵語ullambanaの音訳。略称「盆」。『盂蘭盆経』によれば,釈迦十大弟子の一人目蓮が餓鬼世界で苦しむ母を救うために7月15日十方衆僧(多くの僧)に供養したことに始まる。中国から伝わり宮中でも行われた。民間信仰と結びついて現在でも行われている。

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世界大百科事典(旧版)内の盂蘭盆会の言及

【送り火】より

盂蘭盆会(うらぼんえ)が終わり,精霊(先祖)を送るときに門の前や川,海浜などでたく火のこと。門火(かどび)ともいう。…

【粥】より

…さらに他家に嫁いでいる女は,この日その里方に孝九粥を贈る。盂蘭盆会(うらぼんえ)には施餓鬼(せがき)として毎日粥食を貧者にふるまう風も行われている。 今日,民間の日常食としての粥は,たとえば華南地方などでは,一般に毎日3食のうちの1食を粥食にあてる。…

【社】より

…敦煌は仏教都市であったから,当然,社は諸種の仏教行事に参加し法会の援助を行った。それには,三長月斎(1月,5月,7月の各1日に仏寺で行う法会),1月15日の燃灯会,2月8日の釈迦の降誕を祝う行像会,7月15日の盂蘭盆(うらぼん)会,仏像の印を紙や布に押す印沙仏会などがあり,蘭若(寺院)や仏窟の修理造営を援助することもあった。社に入るのは任意であったが,いったん入社すれば社条の規則を守ることが強く求められ,所定の時間に遅れたり,不参したりすると重く罰せられた。…

【十大弟子】より

…はじめ舎利弗とともに懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子であったが,舎利弗とともに仏弟子となる。目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が盂蘭盆会(うらぼんえ)の起源になったといわれる。(3)摩訶迦葉(まかかしよう) パーリ語でマハーカッサパMahākassapa。…

【施餓鬼】より

…現在でも真宗以外の各宗で広く修される。この法会は本来随時に修されたが,いつの時代からか,とくに盆に行うようになり,この施餓鬼の法会を指して盂蘭盆(うらぼん)会というようにさえなった。それほど盆施餓鬼は盂蘭盆中の代表的な行事となったのである。…

【中元】より

…道教では,人の罪を許す地官の誕生日とみなし,道士が経典を読んで亡者を済度した。また仏教では,《盂蘭盆経(うらぼんきよう)》等に見える目連(もくれん)尊者の孝行譚(たん)により,六朝後期以来,寺院では盛大な盂蘭盆会が開かれ,迷える亡者を済度した。このため後世,鬼節(鬼は亡霊の意)とも呼ばれる。…

【盆踊】より

盂蘭盆会(うらぼんえ)を中心とした時期に,老若男女によって屋外で踊られる踊り。年に一度死者の霊がこの世に戻り,供養を受けるという盂蘭盆会にともなう民俗行事として発展したが,近年は宗教的意味が薄れ,誰でもが参加できる共同体の娯楽行事として行われる面が強い。…

【迎え火】より

盂蘭盆会(うらぼんえ)にあたり8月13日のころに精霊(先祖)を迎えるためにたく火のこと。盂蘭盆会が夜の行事であったところから起こった風習である。…

※「盂蘭盆会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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