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法進 ほうしん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

法進 ほうしん

709-778 唐(とう)(中国)の僧。
景竜3年生まれ。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)5年鑑真(がんじん)にしたがって来日。鑑真の東大寺戒壇院創建をたすけ,のち大僧都(だいそうず)にすすむ。鑑真が唐招提寺にうつると戒壇院,唐禅院をついだ。宝亀(ほうき)9年9月29日死去。70歳。申州(一説に明州)出身。俗姓は王。著作に「東大寺授戒方軌」「註梵網経(ちゅうぼんもうきょう)」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

法進

没年:宝亀9.9.29(778.10.23)
生年:景竜3(709)
奈良時代の律宗の渡来僧。「はっしん」ともいう。唐の明州の人である。鑑真に師事して律・天台を受学し,鑑真に従って苦難の末,天平勝宝6(754)年正月に来日する。鑑真の東大寺戒壇院設立を助け,その初代戒和上となった。この間,律師,少僧都,大僧都を転任。該博な教学上の知識をもって律・天台の講演に勤めた。<著作>『東大寺授戒方規』1巻,『沙弥十戒経疏』5巻,『註梵網経』6巻(散逸)<参考文献>義澄『招提千歳伝記』中,『元亨釈書』13巻

(佐伯昌紀)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ほうしん【法進】

709‐778
東大寺唐禅院の律僧。〈ほっしん〉ともよぶ。もと中国揚州白塔寺の僧。俗姓王氏。鑑真の弟子として744年(天平16)の第3回の日本への渡航以後,多くの苦難を経験して,753年(天平勝宝5)に鑑真,義静,思託などとともに,遣唐副使大伴古麻呂の船で薩摩国秋津浦に来り,翌年2月東大寺に入り,唐禅院が完成するとこれに止住した。756年5月に学業,戒律の点で僧尼の領袖として慶俊とともに律師に任ぜられ,760年(天平宝字4)7月に良弁らとともに僧の位階について上奏した。

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世界大百科事典内の法進の言及

【法進】より

…756年5月に学業,戒律の点で僧尼の領袖として慶俊とともに律師に任ぜられ,760年(天平宝字4)7月に良弁らとともに僧の位階について上奏した。鑑真死去ののちは,律僧の第一人者として戒律の流布に当たったようで,《東大寺授戒法軌》(法進式),《註梵網経》などの著書もあり,778年(宝亀9)9月に大僧都として70歳で没した。生前吉野に仏国寺を創建したと伝える。…

※「法進」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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