法進(読み)ほうしん

改訂新版 世界大百科事典 「法進」の意味・わかりやすい解説

法進 (ほうしん)
生没年:709-778

東大寺唐禅院の律僧。〈ほっしん〉ともよぶ。もと中国揚州白塔寺の僧。俗姓王氏。鑑真弟子として744年(天平16)の第3回の日本への渡航以後,多くの苦難を経験して,753年(天平勝宝5)に鑑真,義静,思託などとともに,遣唐副使大伴古麻呂の船で薩摩国秋津浦に来り,翌年2月東大寺に入り,唐禅院が完成するとこれに止住した。756年5月に学業戒律の点で僧尼領袖として慶俊とともに律師に任ぜられ,760年(天平宝字4)7月に良弁らとともに僧の位階について上奏した。鑑真死去ののちは,律僧の第一人者として戒律の流布に当たったようで,《東大寺授戒法軌》(法進式),《註梵網経》などの著書もあり,778年(宝亀9)9月に大僧都として70歳で没した。生前吉野に仏国寺を創建したと伝える。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「法進」の解説

法進 ほうしん

709-778 唐(とう)(中国)の僧。
景竜3年生まれ。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)5年鑑真(がんじん)にしたがって来日。鑑真の東大寺戒壇院創建をたすけ,のち大僧都(だいそうず)にすすむ。鑑真が唐招提寺にうつると戒壇院,唐禅院をついだ。宝亀(ほうき)9年9月29日死去。70歳。申州(一説明州)出身。俗姓は王。著作に「東大寺授戒方軌」「註梵網経(ちゅうぼんもうきょう)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の法進の言及

【法進】より

…756年5月に学業,戒律の点で僧尼の領袖として慶俊とともに律師に任ぜられ,760年(天平宝字4)7月に良弁らとともに僧の位階について上奏した。鑑真死去ののちは,律僧の第一人者として戒律の流布に当たったようで,《東大寺授戒法軌》(法進式),《註梵網経》などの著書もあり,778年(宝亀9)9月に大僧都として70歳で没した。生前吉野に仏国寺を創建したと伝える。…

※「法進」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

一度利用した製品を捨てずにそのまま再使用すること。ごみの削減に重要だとされる「3R」の一つで、衣類・服飾品や家電などさまざまな品目が取り扱われている。リユース商品の専門店やイベント、フリーマーケット...

リユースの用語解説を読む