デジタル大辞泉
「仏国寺」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
ぶっこく‐じ【仏国寺】
- 韓国、慶尚北道慶州郡の吐含山のふもとにある寺。五二八年勅建。一五九二年兵火で焼失。一六五九年再建。石造りの多宝塔と釈迦塔は、創建時の新羅(しらぎ)文化の最盛期のもの。また、木版による無垢浄光大陀羅尼経は世界最古の印刷物とされる。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
仏国寺
ぶつこくじ
[現在地名]小浜市伏原
後瀬山の枝峰北側の山裾にある。山号は福応山、曹洞宗。本尊釈迦如来。文亀二年(一五〇二)若狭守護武田元信の創建と伝える(当寺旧記写)。永正一四年(一五一七)一二月二〇日の仏国寺買得田畠山林等目録(寺蔵文書)に寺領として田地一町三反・山林二ヵ所・三宅八幡田禰宜職・勢井村山手一〇貫文が記される。年不詳八月一二日付の武田元光書状(同文書)によれば、元光は当寺を伊豆守(元光父元信)の牌所として乱妨・狼藉や、山林・竹木の伐採および諸公事・諸役の賦課を禁じている。
仏国寺
ぶつこくじ
[現在地名]七会村塩子
塩子の北東の山中にある。岩谷山と号し、真言宗豊山派。本尊は十一面観音。弘仁年中(八一〇―八二四)に空海が開基したと伝え、のち慶長三年(一五九八)教導が中興する。朱印地一〇石、除地三石余。境内の崖の中途に観音堂があり、石像を安置しているため岩谷山観音堂ともいう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
仏国寺 (ぶっこくじ)
韓国,慶尚北道慶州市の郊外にある大寺。新羅の法興王代(在位514-540)に創建され,景徳女王10年(751)に宰相金大城の発願により伽藍は大規模に拡充されたと伝える。伽藍は吐含山麓に東西2部を営み,大雄殿を中心とする東部は,大雄殿前方左右に多宝塔,釈迦塔を配し,四囲に回廊をめぐらせ,正面の紫霞門前面には高い石壇を築き,石造アーチを用いた優美な青雲橋,白雲橋がかかる。伽藍配置は薬師寺と同じ双塔式で,石築壇や建物の基壇・礎石はすべて金大城再興のものであるが,大雄殿,極楽殿,紫霞門などの現存の建物は李朝中期の再建になり,1972年には現存の建物と様式を統一して伽藍全体が復元された。釈迦塔は別名無影塔と称される方形3層石塔である。3層とも塔身と屋根は一石から造り出している。石組技巧のすぐれたもので,軽い反りをもち,簡素で完璧なまでの正確な比例を保つ。相対する多宝塔の特異な構造形式は釈迦塔ときわだった対照をなし,いずれも新羅時代の代表的石塔で,朝鮮建築中の最もすぐれた作品である。釈迦塔の第3層塔身上部の舎利孔からは,金銅・銀製の舎利函3点とともに,1966年,新羅木版の《無垢浄光大陀羅尼経》が発見された。これは8世紀前半のものと推定され,現存する世界最古の印刷物とされている(〈印刷〉の項を参照)。大雄殿北方の舎利塔は灯籠型の石塔で,塔身の4区の仏龕(ぶつがん)中に如来型座像2軀,天部型立像2軀の浮彫があり,高麗初期の造立と推定される。大雄殿の本尊毘廬遮那如来,極楽殿の本尊阿弥陀如来は,ともに金銅の半丈六座像で,両像とも様式上景徳女王10年の造立で,新羅銅造彫刻を代表するものである。仏国寺の名が示すように護国仏教の中心地で,現在は慶州観光の中心地ともなっており,慶州郊外の仏国寺門前には観光ホテルがたちならんでいる。
執筆者:宮本 長二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
仏国寺【ぶっこくじ】
韓国,慶尚北道慶州の東,吐含(とがん)山にある寺。華厳(けごん)宗に属した。新羅の訥祇(とつぎ)王(在位417年―458年)のとき,高句麗の僧我道が新羅にきて,仏法を広めようとして迫害され,難を避けて庵を結んだのに始まる。528年王夫人法流尼のための勅建により,大伽藍(がらん)となる。のち,兵火にかかったのを,1659年―1771年李朝によって一部再興。さらに1969年―1972年全容を復元。伽藍配置は奈良の薬師寺と同じ双塔式。新羅三重石塔の代表である多宝塔,釈迦塔,西方の一郭にある七宝橋・蓮華橋はきわめて技巧的。背後の山頂に石窟庵がある。石窟庵とともに1995年世界文化遺産に登録。なお,1966年に木版の《無垢浄光大陀羅尼経》が仏国寺で発見されたが,8世紀前半のものと推定されている。
→関連項目慶州石窟庵
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
仏国寺
ぶっこくじ
韓国(大韓民国)、慶尚北道慶州市吐含山(とがんさん)にある寺。華厳(けごん)仏国寺、華厳法流寺ともいう。新羅(しらぎ)法興王が528年に王夫人法流尼のために勅建されたものである。のち574年真興(しんこう)王のとき重興され、毘盧遮那(びるしゃな)仏・阿弥陀(あみだ)仏の2像を鋳造奉安した。また670年講堂無説殿が建立され、華厳が講ぜられた。751年、宰相金大城は両親のために堂宇を建て、先祖のために石仏寺(石窟庵(せっくつあん))をつくり、神琳表訓(しんりんひょうくん)を請(しょう)じて住持させた。774年12月大城の没後、朝廷はその事業を継承し、東都第一の名刹(めいさつ)となった。たび重なる再興、重修を経て栄えたが、1592年日本軍の兵火にかかり(文禄(ぶんろく)の役、壬辰倭乱(じんしんわらん))、大雄殿、極楽(ごくらく)殿、紫霞(しか)門ほかことごとく焼失。1659年に再興されたが、ふたたび祝融(しゅくゆう)の災にかかる。現存の大雄殿は1767年6月、道泰(どうたい)・贊弘(さんこう)らによる重建である。伽藍(がらん)配置はわが国の奈良時代前期の規模と類似したものであった。極楽殿に安置されている銅造阿弥陀像は初唐の気風をもち、新羅統一時代の代表的傑作といわれる。この寺は慶州石窟庵とともに、1995年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[里道徳雄]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
仏国寺
ぶっこくじ
Pulguk-sa
大韓民国 (韓国) ,キョンサンプク (慶尚北) 道キョンジュ (慶州) 市進 峴洞にある寺院。トハム (吐含) 山麓に広大な石壇を築いて寺域としている。創建は統一新羅時代の8世紀中頃であるが,現存の木造建築のうち大雄殿,極楽殿,紫霞門などは李朝末期の重建。無説殿,観音殿,毘盧殿,東西回廊などは,すべて 1969年の発掘調査後に復元されたもの。ただし大雄殿前の石造釈迦塔,多宝塔,灯籠および石造の青雲・白雲橋,築台などは創建当初のもので,極楽殿の金銅『阿弥陀如来坐像』,毘盧庵の金銅『毘盧舎那仏坐像』などは,9世紀以降に追加されたものである。伽藍配置は奈良の薬師寺にもみられる二塔一金堂式で,1972年には現存する建物の様式を統一して伽藍全体が復元された。なお,1966年に釈迦塔から発見された『無垢浄光陀羅尼経』は8世紀の木版印刷で,日本の『百万塔陀羅尼』と並ぶ世界最古の印刷物とされている。 1995年石窟庵とともに,世界遺産の文化遺産に登録。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
仏国寺(ぶっこくじ)
韓国慶州市郊外にある寺院。創建は751年,新羅の宰相金大城(きんだいじょう)の発願による。その死後,工事は新羅国家に引き継がれて完成したが,豊臣秀吉の侵略の際に焼失し,石造物だけが残った。現在の堂宇はその後の再建によるもの。近年,発掘調査をふまえて伽藍(がらん)全体が復元された。伽藍は東西2区よりなり,東区の釈迦塔(しゃかとう)と多宝塔は新羅時代の石塔。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
ぶっこくじ【仏国寺】
韓国南部のキョンサンプクト(慶尚北道)キョンジュ(慶州)市郊外、トハムサン(吐含山)の中腹にある仏教寺院。751年ごろ、新羅の景徳王の時代に宰相を務めていたキムデソン(金大城)により創建された。1593年の文禄の役(韓国では壬申倭乱)で建物は焼失、その後再建が始まり、1970年代に行われた大改修を経て今日に至っている。境内には青雲橋・白雲橋、蓮華橋・七宝橋、大雄殿のほか、多宝塔・釈迦塔の2つの宝塔などがあり、新羅時代につくられた金銅毘盧遮那仏が安置されていて、統一新羅時代の貴重な文化財にふれることができる。◇「プルグクサ」とも読む。1995年に、同じ吐含山麓にあるソックラム(石窟庵)とともに、世界遺産(文化遺産)に登録された。
出典 講談社世界の観光地名がわかる事典について 情報
仏国寺
仏国寺は、大韓民国慶州市の郊外にある仏教寺院です。吐含山の中腹に位置する仏国寺は、大韓仏教曹渓宗第11教区の本寺であり、韓国を代表する寺院として広く知られています。新羅の景徳王の時代、宰相の金大城により建立されたといわれ、『三国遺事』には金大城が現世での父母のために建立したと記述されています。仏国寺では6つの国宝を始めとして、統一新羅時代に作られた貴重な文化財をたっぷりと味わうことができます。1995年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
出典 KNT近畿日本ツーリスト(株)世界遺産情報について 情報
仏国寺
ぶっこくじ
韓国慶州の郊外にある寺
6世紀前半の新羅で創建。8世紀半ば大規模に拡充され,鎮護国家を担う寺とされた。大雄殿の前面には石造の釈迦塔と多宝塔があり,新羅時代を代表するすぐれた建築物である。釈迦塔からは8世紀前半のものと推定される木版の『無垢浄光大陀羅尼経』が1966年に発見され,現存する世界最古の印刷物といわれている。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報