神奈川県北西部、津久井郡(つくいぐん)にあった旧町名(相模湖町(まち))。現在は、相模原市(さがみはらし)の西部を占める緑(みどり)区の一地域。1955年(昭和30)与瀬(よせ)・小原(おばら)の2町と千木良(ちぎら)・内郷(うちごう)の2村が合併して相模湖町が成立。2006年(平成18)相模原市に編入。旧町域は、関東山地南部のほぼ東西方向に走る断層帯にあたり、相模川沿いには狭長な河岸段丘が発達し、住民の生産と生活の舞台となっている。JR中央本線、国道20号、412号、中央自動車道が通じている。与瀬と小原は甲州街道の宿場町であった。中央本線の開通後、与瀬駅が設けられ、相模ダムの完成(1947)後は相模湖観光の中心地となり、駅名も相模湖とかえられた。河岸段丘と山脚部は耕地に開かれているが狭く、住民は観光と酪農、野菜栽培、林業などに従事し、東京都への通勤者も多い。東海自然歩道が通じ、県立相模湖公園・相模湖記念館、美女谷温泉(びじょだにおんせん)、さがみ湖プレジャーフォレスト、寸沢嵐(すあらし)石器時代遺跡(国指定史跡)、石老(せきろう)山など観光地が多く、小原宿の旧本陣(清水家住宅)も公開されている。美女谷温泉は、美女谷川に臨む静かな温泉で、水質は炭酸水素塩泉。
[浅香幸雄]
神奈川県北西部、相模原市にあり、相模川本流をせき止めた相模ダムによってできた人造湖。面積3.26平方キロメートル。河水統制事業による最初の工事で、1940年(昭和15)神奈川県営で着工され、1947年(昭和22)に完成。ダムは、洪水調節、灌漑(かんがい)、発電、上水道などの多目的ダムである。堤高58メートル。すぐ下流に相模(出力3.1万キロワット)、津久井(出力2.3万キロワット)の両発電所があり、横浜、川崎、相模原3市へ上水道、工業用水を供給している。人造湖ではあるが湖岸の出入りが多くて美しい湖岸線をなし、付近をあわせて県立相模湖公園に指定されている。県立相模湖交流センター内「相模湖記念館」、ボートとカヌーの艇庫、練習場、レース場などのほか、観光施設が整い、沿岸にはワカサギ、ヘラブナ、ヤマベなどの釣り場が多い。北辺の美女谷(びじょだに)川に沿う美女谷温泉、高尾山、景信山(かげのぶやま)、陣馬高原(じんばこうげん)などを結ぶハイキングコースや東海自然歩道が通じている。JR中央本線相模湖駅下車、さがみ湖プレジャーフォレストまでバス10分。
[浅香幸雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
神奈川県北部,相模原市にある相模川をせき止めて造成された人造湖。面積3.26km2,京浜地域の工業化,都市化の進展につれ需要が増加した水資源を確保するため,神奈川県が1938年に相模川河水統制事業を計画,都市用水,工業用水,農業用水を取水し発電,洪水調節,観光などに資する多目的の相模ダムが40年着工された。第2次世界大戦のため工事は中断されたが47年完成,相模湖が誕生した。このため93戸あった勝瀬(かつせ)集落は湖底に沈んだ。工業・上水道用水は横浜・川崎方面に供給される。相模ダムは重力式コンクリートダムで61年にかさ上げされ,高さ58.4m,長さ196m,有効貯水量4820万m3となった。64年の東京オリンピックのカヌー競技場となり,現在は県立漕艇場として利用されている。南岸には県立相模湖公園がある。
執筆者:伊倉 退蔵
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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