津井村(読み)ついむら

日本歴史地名大系 「津井村」の解説

津井村
ついむら

[現在地名]西淡町津井

湊里みなとさと村の南西奥河内おくごうち村の北西、西淡丘陵北部に位置する。津井川下流域と河口部、およびその北側の播磨灘に突き出た雁子かりこ岬、火打川原ひうちがわら舟入場(湊)がある。貞応二年(一二二三)の淡路国大田文に最勝四天王さいしようしてんのう(現京都市東山区)領として「津井伊賀利庄」とみえ、田一九町・畠と浦二ヵ所があり、地頭は承久の乱以前は国御家人の刑部丞光盛、乱後は平二郎の子が任命されていた。正保国絵図に津井村とみえ、高一四二石余。天保郷帳では高二七〇石余。反別戸数取調書では反別六九町八反余、高六四一石余。


津井村
さいむら

[現在地名]西郷町飯田いいだ

飯田村の南に位置し、西部入江に臨む。古く東井・西井があり、それより転じたという。正保国絵図に村名がみえ、「隠州視聴合紀」では津居村とする。貞享五年(一六八八)の「増補隠州記」によれば、田五五石余・五町二反余、畑一〇石余・四町一反余。小物成は竈役面判銀(以下断りのない限り同銀)一一匁・漁請役一二匁・柄油七升役一匁二分・核苧四一〇目役一匁一分、家数二五(百姓一六・間脇九)のうち御役目屋敷一一、人数一二六、牛二七・馬一六。八幡宮などが鎮座真言宗蓮華れんげ寺がある。


津井村
ついむら

[現在地名]印南町津井

印南浦の西方、海岸線にある。西は楠井くすい(現御坊市)。建仁元年(一二〇一)の「後鳥羽院熊野御幸記」一〇月一一日の記事に「ツイ王子」の名がみえ、また応永三四年(一四二七)の「熊野詣日記」一〇月二五日に「ついの浜ニて御こやしなひ」とみえる。慶長検地高目録によれば村高九八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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