日本歴史地名大系 「津賀村」の解説 津賀村つがむら 三重県:鈴鹿市旧鈴鹿郡地区津賀村[現在地名]鈴鹿市津賀町・高塚(たかつか)町高宮(たかみや)村の西方にあり、東南の庄野(しようの)宿にも近い台地上の村。戦国時代には、小林筑前守が津賀城を築き、川崎の峯(かわさきのみね)城(現亀山市)の与力であった滝川儀太夫とともに峯城に拠り、天正一一年(一五八三)豊臣秀吉方の織田信雄と戦ったが、城は落ち、津賀城も廃された(伊勢名勝志)。文禄検地帳を転記したと思われる伊勢国中御検地高帳には、「津爪(瓜か)村」と記される。 津賀村つがむら 茨城県:鹿島郡大野村津賀村[現在地名]大野村津賀北浦の東岸に位置し、東は境(さかい)川を隔てて立原(たちはら)村。中世は常陸大掾氏一族の津賀氏が支配し、応安年間(一三六八―七五)の海夫注文(香取文書)に「かけさきの津津か知行分」とある。掛崎(かけさき)は村の西、北浦湖岸にあり、古くから鹿島・行方(なめがた)両郡を結ぶ渡船場であった。元中八年(一三九一)七月、津賀幹能は鹿島神宮の大使役を勤仕した(「鹿島大使役記」安得虎子)。 津賀村つがむら 高知県:幡多郡十和村津賀村[現在地名]十和村津賀茅吹手(かやぶくて)村の北方、重利(しげとし)山(六三九・八メートル)の南麓、北西から津賀ノ川が四万十(しまんと)川に流入する辺りから下流にかけての四万十川北岸にある。上山(かみやま)郷下分(しもぶん)の一村。「土佐州郡志」は「東限津賀之川、西限宮谷、南限大川、北限家林、東西十町南北三町、戸凡十一、其土赤黒」と記す。村名は慶長二年(一五九七)の上山郷地検帳にみえ、検地面積は二町二反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by