浅田信興(読み)アサダ ノブオキ

20世紀日本人名事典 「浅田信興」の解説

浅田 信興
アサダ ノブオキ

明治・大正期の陸軍大将,男爵



生年
嘉永4年10月12日(1851年)

没年
昭和2(1927)年4月27日

出身地
武蔵川越(埼玉県)

旧姓(旧名)
坂口

経歴
川越藩士・坂口家の三男として生まれる。江川太郎左衛門砲術を学び、戊辰戦争では官軍に属して関東・奥羽転戦。明治5年陸軍少尉に任官西南戦争では小隊長として勇戦して名を挙げた。日清戦争時は屯田兵参謀長を務めていたが、東京まで赴いただけで出征しなかった。歩兵第20旅団長、同第5旅団長を経て、日露戦争時は近衛歩兵第1旅団長として出征。37年近衛師団長となり、40年戦功により男爵を授けられた。その後、39年第12師団長、43年第4師団長、44年教育総監を歴任し、大正元年藩閥出身以外では珍しい陸軍大将に昇進した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「浅田信興」の解説

浅田信興

没年:昭和2.4.27(1927)
生年:嘉永4.10.12(1851.11.5)
明治大正期の陸軍軍人。西洋学導入に熱心だった川越藩(埼玉県)の藩士坂口朗忠の3男。江川太郎左衛門に師事して砲術を学び,戊辰戦争では官軍に加わり関東,奥羽へ転戦,明治5(1872)年少尉に任官。西南戦争では小隊長,日清戦争(1894~95)では屯田兵参謀長を務め,日露戦争(1904~05)には近衛歩兵第1旅団を率いて出征。激戦の末,分水嶺占領に成功,戦功により男爵。藩閥出身以外では珍しく大正1(1912)年大将に進み,教育総監などの要職に就いた。

(山崎有恒)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅田信興」の解説

浅田信興 あさだ-のぶおき

1851-1927 明治-大正時代の軍人。
嘉永(かえい)4年10月12日生まれ。西南戦争で名をあげ,日露戦争では近衛(このえ)師団長としてたたかう。第四師団長,教育総監などをへて大正3年軍事参議官。陸軍大将。男爵。昭和2年4月27日死去。77歳。武蔵(むさし)川越(埼玉県)出身。本姓は坂口。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「浅田信興」の解説

浅田 信興 (あさだ のぶおき)

生年月日:1851年10月12日
明治時代;大正時代の陸軍軍人。大将;男爵
1927年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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