浜頓別(読み)はまとんべつ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「浜頓別」の意味・わかりやすい解説

浜頓別(町)
はまとんべつ

北海道北部、宗谷(そうや)総合振興局管内の町。1951年(昭和26)町制施行。町名はアイヌ語トーウンペッ(沼から出る川の意)による。オホーツク海に面し、国道275号、238号が通じる。国鉄興浜北線(こうひんほくせん)が通っていたが1985年廃止、JR天北線(てんぽくせん)は1989年(平成1)廃止、バスに転換。海岸線に沿って5~6メートルの砂浜堤が発達し、その内側に低湿地が広がり東天北原野の一部となっている。頓別川が北東に流れてオホーツク海に注ぐ。17世紀以来漁場が開かれていたが、農業開拓は明治末の植民区画以後である。南部の洪積台地では牧畜が行われていたが、1960年ごろからの土地改良と酪農化でより発展した。現在は大型酪農業と、サケケガニホタテガイなどの漁業が主産業。また南宗谷地方の教育、文化、経済、交通の中心地でもある。ハクチョウ飛来するクッチャロ湖やベニヤ原生花園、神威岬(かむいみさき)などの景勝地があり、一部は北オホーツク道立自然公園に指定されている。クッチャロ湖はラムサール条約登録湿地で、その湖畔の台地上に縄文早期から擦文(さつもん)時代にわたる竪穴(たてあな)住居跡群がある。面積401.64平方キロメートル(一部境界未定)、人口3448(2020)。

岡本次郎

『『浜頓別町史』(1995・北海道出版企画センター)』


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改訂新版 世界大百科事典 「浜頓別」の意味・わかりやすい解説

浜頓別[町] (はまとんべつ)

北海道北部,オホーツク海に面する,宗谷支庁枝幸(えさし)郡の町。人口4168(2010)。町域はおおむね平たんで中央を頓別川が北東に流れる。中心集落は頓別川下流域にある。また国道238号線と275線の分岐点でもある。17世紀末に松前藩の直轄漁場となり,1895年ころから砂金採取などのために定住者が増え,明治末期の植民地区画以後開拓者の入植も増加した。海岸部ではサケ・マス,ケガニ,ホタテガイなど,オホーツクの豊富な水産資源を利用する漁業が営まれ,内陸部では大規模な土地改良による酪農が盛ん。ハクチョウの飛来で知られるクッチャロ湖,6~7月にはハマナス,ヒオウギアヤメなどが美しいベニヤ原生花園,神威(かむい)岬などの景勝地があり,北オホーツク道立自然公園に含まれる。またクッチャロ湖畔には先住民族の竪穴住居跡群と縄文時代の日ノ出貝塚がある。
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百科事典マイペディア 「浜頓別」の意味・わかりやすい解説

浜頓別[町]【はまとんべつ】

北海道北部,枝幸(えさし)郡の町。オホーツク海に面し,頓別川河口は天然内港で,毛ガニ,サケ,マスなどの水揚げがある。ホタテの養殖も行われる。内陸部では酪農が盛ん。ハクチョウが飛来するクッチャロ湖(ラムサール条約登録)がある。401.64km2。4168人(2010)。

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世界大百科事典(旧版)内の浜頓別の言及

【街道】より

…会津から南下する会津西街道は今市で日光道中に結ぶ。また奥州街道の岩沼から太平洋沿岸を南下するのは浜通りとも浜街道ともいい,相馬中村,磐城平を経て,勿来(なこそ)の関を越えて常陸に入り,水戸街道につながる。常陸側では磐城相馬街道である。…

【福島[県]】より

…【狐塚 裕子】
[3列の山地と低地]
 福島県は,ほぼ南北に並列する三つの山地と三つの低地から形成されており,全体としては山地・丘陵地が広い。山地は東から阿武隈高地,奥羽山脈と飯豊(いいで)山地・越後山脈であり,太平洋とそれらの山地の間に,東から浜通り低地帯(浜通り),中通り低地帯(中通り)および会津地方の会津盆地・田島盆地が南北に並列している。阿武隈高地は大部分が標高1000m以下の高原状地形であり,高地内には樹枝状谷が発達する。…

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