日本大百科全書(ニッポニカ) 「浪合」の意味・わかりやすい解説
浪合
なみあい
長野県南西部、下伊那郡(しもいなぐん)にあった旧村名(浪合村(むら))。現在は阿智(あち)村の南部を占める。旧浪合村は1934年(昭和9)波合村が浪合と平谷(ひらや)の2村に分かれて成立。2006年(平成18)阿智村に編入。旧村域は木曽(きそ)山脈東麓(ろく)の典型的な高冷過疎地。冬季は-15℃にもなる。近世は伊那谷と三河(みかわ)(愛知県)を結ぶ三州街道(国道153号)に沿う中馬(ちゅうま)宿でにぎわったが、明治以後は鉄道(飯田(いいだ)線)の開通で陸の孤島化した感がある。耕地はきわめて少なく、山菜加工や治部坂(じぶさか)峠一帯の別荘地開発で中京からの観光客を期待している。スキー場、ゴルフ場、観光農園などがある。武田氏が東海進出を図るために設けた波合関跡や、北朝方に殺害されたという尹良親王(ゆきよししんのう)の墓所がある。
[小林寛義]