淵庄(読み)くしぶちのしよう

日本歴史地名大系 「淵庄」の解説

淵庄
くしぶちのしよう

山城石清水いわしみず八幡宮領庄園で、現櫛淵町の谷間部に比定される。櫛淵別宮ともみえる。寛仁元年(一〇一七)に後一条天皇が修理料として石清水八幡宮に寄進したとされ、元久二年(一二〇五)一二月日の別当道清処分状(石清水文書、以下断りのない限り同文書)によれば、「櫛淵庄」などを石清水別当法印権大僧都であった道清が修理別当宗清に譲っている。寛喜二年(一二三〇)正月日の宗清置文によれば、若宮の長日油として一一月分四升四合・一二月分一升三合の計五升七合を当庄が負担するよう定められている。また嘉禎三年(一二三七)五月日の検校宗清処分状によれば、当庄は娘の少将局分(四条院女房)死去の後は本所の教清が沙汰することになっている。

承久の乱後、新補地頭(櫛淵別宮地頭)として秋本(秋元)二郎兵衛尉が補任されるが、その代官による神領の押領があった。


淵庄
ふちのしよう

中主ちゆうず町南西部から守山市東部を含む一帯に比定される庄園。「和名抄」の敷智ふち郷を継承するとみられる。治安三年(一〇二三)九月二三日の官宣旨案(御府文書)に奈良大安寺領として「野洲郡野洲庄淵庄」と野洲庄と並記される。両庄は舒明天皇の時一〇〇町、天武天皇の時三〇〇町、聖武天皇の時一〇〇町の勅施入を受けて成立したものといい、大安寺再建の作事料に充てるため収公や臨時雑役賦課などが停止されている。寛治八年(一〇九四)五月二九日の官宣旨案(東山御文庫記録)によれば、以後さらに講堂と南大門造営を終わるまで国司の入勘・臨時雑役が停止された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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