日本歴史地名大系 「清泰寺」の解説 清泰寺せいたいじ 岐阜県:美濃市上有知町清泰寺[現在地名]美濃市 殿町小倉(おぐら)山の南西麓に位置し、広大な境内をもつ。臨済宗妙心寺派に属し、安住山と号する。本尊は釈迦如来。「上有知旧事記」などによれば、鉈尾山(なたおやま)城主の佐藤秀方は永禄六年(一五六三)父清信が没すると清信を開基に、紹琢(大矢田村道樹寺二世)を開山として保寧(ほねい)寺を建立、寺領三〇石を寄進した。寺地は古町(ふるまち)(現下渡地区)の「ほうねんじあと」といわれる地にあった。 清泰寺せいたいじ 山梨県:北巨摩郡白州町片颪村清泰寺[現在地名]白州町花水釜無川支流の小深沢(こふかさわ)川の左岸、七里(しちり)岩を下っていく坂道の途中にある。霊長山と号し、曹洞宗、本尊薬師如来。慶応四年(一八六八)の書上(寺記)によれば、開基は新羅三郎源義光。もと天台宗で、中興開山の興因(こういん)寺(現甲府市)三世雲鷹玄俊により文明六年(一四七四)改宗。「甲斐国志」では開基は逸見清泰、中興開山は心叟英種という。永禄二年(一五五九)五月二日の武田信玄、天正三年(一五七五)三月朔日の武田勝頼、慶長八年(一六〇三)三月朔日の徳川家四奉行の三通の禁制を所持していたが、宝暦元年(一七五一)の火災で焼失した(寺記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報