渡辺橋跡(読み)わたなべばしあと

日本歴史地名大系 「渡辺橋跡」の解説

渡辺橋跡
わたなべばしあと

古代から中世にかけての要津渡辺津に架けられていた橋。その位置は同津の中心であったと考えられる現在の天満てんま橋付近といわれる。「日本書紀」仁徳天皇三〇年条にみえる難波済なにわのわたり、「古事記」仁徳天皇段にみえる「難波大渡」もその辺りであろう。「摂津名所図会」の大江おおえ橋の項に「一名渡辺橋、近江川の下流、今の天満橋天神橋の間に架す」とみえる。しかし、これは淀川などの河川の流路が変化した後世の記述なので、古代から中世の渡辺橋の正確な位置は不明である。現在の大江橋や渡辺橋は旧名を残すだけで直接の関係はない。

渡辺津の付近にはすでに奈良時代に幾つかの橋が造られた。「行基年譜」の「天平十三年記」に、行基が行ったという橋架工事のうち摂津国分として「高瀬大橋(中略)長柄 中河 堀江」の四橋があげられる。さらに「日本霊異記」(中巻第三〇)に「行基大徳、難波の江を掘り開か令めて船津を造り」とあり、「三宝絵詞」には「行基菩薩の難波におはしまして橋をつくり、江をほり、船をわたし」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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