測量日記・忠敬先生日記(読み)そくりようにつき・ただたかせんせいにつき

日本歴史地名大系 「測量日記・忠敬先生日記」の解説

測量日記・忠敬先生日記(測量日記)
そくりようにつき・ただたかせんせいにつき

測量日記二八冊・忠敬先生日記五一冊

原本 千葉県佐原市伊能忠敬記念館

解説 江戸中期の地理学者測量家である伊能忠敬が記した測量日記。忠敬による全国各地の測量は寛政一二年閏四月に開始され、以後文化末年までに及ぶ。「測量日記」は測量先で書留めた日記をもとに、のちに忠敬が書直したもので、「蝦夷干役志 啓行策略 完」「享和元辛酉歳 沿海日記 完」などの原題がつけられている。「測量日記」の表題は昭和二六年の修理時に新たに付けられたもの。「忠敬先生日記」は忠敬が測量先で日々書留めたもの。表題は付けられていないが、同年の修理時に「忠敬先生日記」と名付けられた。当時の測量ルートを知るうえで貴重とされるとともに、個々の村々の状況なども記される。現島根県域にかかわる記録は文化三年・同一〇年のものが知られ、文化一〇年一一月二八日の杵築大社(出雲大社)参詣の記録はかなり詳細で、諸社殿・諸施設が詳しく書上げられている。

活字本千葉県史料」近世篇伊能忠敬測量日記(寛政一二年―文化三年分)ほか


測量日記・忠敬先生日記(測量日記)
そくりようにつき・ただたかせんせいにつき

測量日記二八冊・忠敬先生日記五一冊 伊能忠敬著

原本 千葉県佐原市伊能忠敬記念館

解説 寛政一二年から文化末年にかけて日本全国を測量した伊能忠敬の日記。忠敬の測量日記は二種類あり、一つは忠敬が測量先で日々書綴ったもので、表題がないために昭和二六年に表紙の修理が行われた時に「忠敬先生日記」と付けられた五一冊。もう一つは測量先で書留めた日記を忠敬がのちに浄書した二八冊で、それぞれ表題が付されている。前述の修理時に「測量日記」の表題を付された。伊能測量隊は第二次測量(享和元年)伊豆半島の東海岸から西海岸にかけて、第四次測量(同三年)駿河遠江の海岸部を測量した。第五次測量(文化二年)では三島から東海道を西へと測量を進め、この時には浜名湖畔の測量も実施した。

活字本 「千葉県史料」近世篇伊能忠敬測量日記一(寛政一二年―文化三年分)、「伊能忠敬測量日記」


測量日記・忠敬先生日記(伊能忠敬測量日記)
そくりようにつき・ただたかせんせいにつき

測量日記二八冊・忠敬先生日記五一冊

原本 千葉県佐原市伊能忠敬記念館

解説 江戸時代中期の地理学者・測量家である伊能忠敬が記した測量にかかわる日記。忠敬による全国各地の測量は寛政一二年閏四月に開始され、文化末年までに及ぶ。「測量日記」は忠敬が測量先で書留めた日記をもとにのち書直したもので、表題は昭和二六年の修理時に新たに付けられた。「忠敬先生日記」は忠敬が測量先で日々書きためたもので、表題は同年の修理時に新たに付けられた。現福岡県域にかかわる記録は文化六年・同七年・同八年・同九年・同一〇年のものが知られる。当時の個々の町・村などの状況も記され貴重。

活字本 「千葉県史料」近世篇伊能忠敬測量日記一(寛政一二年―文化三年分)、九州ふるさと文献刊行会「伊能忠敬測量日記(福岡・大分・宮崎県下の部)」ほか


測量日記・忠敬先生日記(伊能忠敬測量日記)
そくりようにつき・ただたかせんせいにつき

原本 伊能忠敬記念館

解説 忠敬の諸国測量に伴う記録で、測量日記二八冊・忠敬先生日記五一冊。房総対象とするのは享和元年六月一九日から七月二七日まで、支配領主・海高・家数なども記される。

活字本 「千葉県史料」近世篇、改訂房総叢書では沿海測量日記抄として収載


測量日記・忠敬先生日記(伊能忠敬測量日記)
そくりようにつき・ただたかせんせいにつき

原本 伊能忠敬記念館

解説 諸国測量に伴う記録で、測量日記二八冊・忠敬先生日記五一冊。長崎県域を対象とするのは文化九年一一月より同一〇年九月まで。

活字本 伊能忠敬測量日記四

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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