精選版 日本国語大辞典 「伊豆半島」の意味・読み・例文・類語
いず‐はんとう いづハンタウ【伊豆半島】
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静岡県東部、太平洋に突出し、相模灘(さがみなだ)と駿河湾(するがわん)とを分ける半島。南北約50キロメートル、東西の最大幅は35キロメートルに達し、面積約1500平方キロメートル。半島の基部は、熱海(あたみ)市と函南(かんなみ)町とを結ぶ丹那(たんな)トンネルの通過点にあたる。かつては伊豆国をなし、東の相模とは箱根や湯河原火山の稜線(りょうせん)で接し、西の駿河とは三島市を流れる旧大場川流路と境川がその境界であった。行政的には熱海、伊東、沼津、三島、下田(しもだ)、伊豆、伊豆の国の7市と、田方(たがた)郡函南町、賀茂(かも)郡5町が含まれる。なお、伊豆諸島は1878年(明治11)に東京府に移管され、伊豆半島北西部の君沢郡は1896年に田方郡と合併した。
[北川光雄]
本州中央部に位置し、東北日本弧、西南日本弧、伊豆‐小笠原(おがさわら)弧などが接する会合部にあたる。地質的にはフォッサマグナ地向斜に堆積(たいせき)した海成層の隆起帯であり、グリーンタフ変動地帯に属する。そして、新第三紀中新世の湯ヶ島層、白浜層を基盤にして、鮮新世から完新世(沖積世)に至る各時代の火山活動によって地形と地質は、複雑に構成されている。変動帯であるため地殻運動も激しく活断層の運動、異常隆起も継続し、北伊豆地震や伊豆半島沖地震、伊豆大島近海地震など不安定地帯となる。東海岸の河津(かわづ)から西海岸の土肥(とい)に至る線をほぼ境にして、その南西部は基盤の安山岩や火山砕屑岩(さいせつがん)からなる山地が海に迫る。北部は狩野(かの)川を挟んで西側に達磨(だるま)、棚場(たなば)、猫越(ねっこ)火山、東側に湯河原、多賀(たが)、宇佐美(うさみ)、大室(おおむろ)、天城(あまぎ)火山が続き、富士火山帯の延長にあたる。大室山の円錐(えんすい)形火山や、先原(さきばら)溶岩台地、噴火口の八丁(はっちょう)池、堰(せ)き止めによる一碧(いっぺき)湖、カワゴ平の噴火口と溶岩流など火山地形の種類も多い。半島中央部の天城峠付近を源流とし北流する狩野川のほか、河川は河津、青野、稲生沢(いのうざわ)、仁科(にしな)、那賀川などの中小河川で、河口部には沖積地を発達させるが、段丘や平地は乏しい。狩野川上流の天城山地は起伏量も大きく、岩質に起因する崩壊地も多く侵食も激しい。流路は峡谷をもち、溶岩流の影響による浄蓮(じょうれん)ノ滝は観光地となっている。下流の北伊豆平野は低湿な田方平野と、黄瀬(きせ)川の扇状地も含めて大きな平野となる。狩野川台風の洪水をはじめ、水害の被害も多く、1965年(昭和40)狩野川放水路が完成した。海岸をみると屈曲した磯浜(いそはま)は波食による海食崖(がい)、海食洞、奇岩が特殊な風景をつくり、錦(にしき)ヶ浦、城ヶ崎(じょうがさき)、石廊崎(いろうざき)、波勝(はがち)崎、黄金(こがね)崎などは景勝地となる。白浜、今井浜、弓ヶ浜などの砂浜もみられ、戸田(へだ)や大瀬(おせ)崎には砂礫州(されきす)が発達して海岸も多様である。
[北川光雄]
平坦地(へいたんち)に恵まれず農業生産は制約されるが、熱海の梅園や、爪木(つめき)崎のスイセンの開花期の早いことで知られるように温暖な気候による農業の特色がある。南伊豆の花卉(かき)栽培や、野菜の促成露地栽培は長い日照時間と、石廊崎の1月平均気温6℃といった気温の高さによる。土肥や河津のカーネーション、南伊豆のマーガレットやキヌサヤエンドウは特産となり、冬季出荷されている。北伊豆平野のイチゴ、沼津市西浦から土肥にかけてのミカン、東伊豆の甘夏ミカンなども有名で、観光農業化も進んでいる。天城山間地ではワサビの生産が多く、狩野川、大見川、河津川上流の渓流や湧水(ゆうすい)を利用している。特殊なものとして函南町丹那の酪農の歴史は古い。
伊豆は海に囲まれているので水産業が盛んで湾奥部の低地には、漁村が立地し漁港が開けてきた。磯浜や岩礁の多い南伊豆ではテングサなどの海草類、アワビ、サザエ、イセエビなどの魚貝類の採取がおもで、白浜、須崎、雲見(くもみ)などはテングサの主産地であったが、民宿村に転換し、温泉の湧出による温泉民宿が雲見でみられる。東海岸は定置網、棒受(ぼううけ)網などによる沿岸漁業が中心である。西海岸は冬季の西風や海底地形の影響で沿岸より沖合漁業や、遠洋漁業がおもで、戸田、田子(たご)、岩地、下田などは遠洋漁業の基地である。また、沼津市西浦や静浦の内湾ではハマチ、アジ、タイなどの海面養殖が盛んである。
伊豆は降水量が多く、天城山では年降水量3000ミリメートルを超え、森林の生育条件に適し、林産資源に恵まれ国有林面積も広い。天城山はかつて甘木とも書かれ、江戸幕府は森林保護のために御制木という制度を設け、スギ、マツ、ヒノキ、ケヤキ、クス、サワラの6種が禁伐であったが、のちにカシ、モミ、ツガが加えられて天城九木とよばれた。伐木により搬出も行われたが、筏(いかだ)で送流したため、河津川や大見川沿いには筏場(いかだば)の地名が残っている。林産物としてかつては木炭の生産地であったが衰退し、シイタケの栽培が伸びた。自然の植生として天城連山にはブナ、モミ、アセビなどの原生林があり、アマギツツジやアズマシャクナゲの群落も美しい花を咲かせ、学術参考保護林に指定された範囲も広い。なお、海岸部でも大瀬崎のビャクシン樹林(国指定天然記念物)、戸田御浜(みはま)崎のイヌマキの群落は独特な植相景観をもつ。伊豆半島は火成作用に伴う鉱床も多く鉱産資源にも恵まれている。伊豆の金山は天正(てんしょう)年間(1573~1592)から大久保長安(ながやす)がその開発を始め、土肥、湯ヶ島、縄地(なわじ)、瓜生野(うりゅうの)などで採鉱が進み、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)が最盛期であり、縄地は生産量が最大であった。現在ではほとんど廃鉱となり、伊豆市清越(せいごし)、持越(もちこし)などで金銀鉱の採掘と精錬がみられたが、現在、持越では含金銀工業用産業廃棄物から金・銀の再生事業を行っている。特殊な鉱業として西伊豆町宇久須(うぐす)の伊豆珪石(けいせき)鉱山がある。安山岩が火山性硫気作用で変質し、珪石に変わったもので、ガラス原料鉱石として、また軽量コンクリート用骨材として採取されているが、山地を破壊し、防災上問題となっている。
[北川光雄]
山岳美、海岸美、温泉の豊かさなど自然の多様性、歴史的文学的背景は観光資源としての伊豆の価値を高め、富士箱根伊豆国立公園の指定区域も広い。伊豆の名前は「湯出(ゆず)」によるといわれるように30を超える温泉地がある。熱海、伊東、伊豆長岡などは湧出量が多く、熱川(あたがわ)、峰、下賀茂などは泉温の高い沸騰泉、湯ヶ島、湯ヶ野は自然湧出を主とするなど温泉ごとに特性をもつ。泉質は単純温泉、塩化物泉が多く、網代(あじろ)(南熱海)、下賀茂は塩化物泉である。蓮台寺(れんだいじ)、大仁(おおひと)、土肥などは鉱山の鉱内湧出が泉源である。堂ヶ島(どうがしま)、松崎、雲見などは掘削により湧出した新しい温泉地であり、今井浜、下田などは引き湯による。観光地の発展には交通条件の整備との関係が深く、古くは1925年(大正14)の国鉄熱海線(現、JR東海道本線国府津―熱海間)、1938年(昭和13)の国鉄(現、JR)伊東線、1961年(昭和36)の伊豆急行線の開通は、観光客の急増をもたらし東伊豆の開発を進め、熱海、伊東は国際観光温泉文化都市に成長した。1924年の伊豆箱根鉄道駿豆(すんず)本線、1969年の東海道新幹線三島駅開業は、下田街道に沿う中伊豆、西海岸方面の地域変容をもたらした。国道135号、136号の整備、伊豆スカイライン、西伊豆スカイライン、南伊豆道路(マーガレットライン)など観光道路の建設は、観光客とともにゴルフ場、別荘地、レジャー施設を拡張し、自然環境保全が問題となった。また、河津町梨本(なしもと)に災害復旧として建設された国道414号の河津七滝(ななだる)ループ橋は、道路自体が新名所とされている。また、伊豆半島中央部の天城峠からモリアオガエルの生息で知られる八丁池にかけては、森林、渓谷、野鳥をもとに昭和の森天城自然休養林に指定され、森林博物館、伊豆近代文学館なども併設され、旧天城峠は踊子コースが設けられるなど多面的に整備が進んでいる。
自然的な観光資源に加えて川端康成(かわばたやすなり)や井上靖(やすし)などの文学作品の舞台としての伊豆には、文学散歩コースが知られるし、歴史的にも源氏ゆかりの修善寺、蛭ヶ小島(ひるがこじま)、黒船と開港にちなむ下田周辺など名所旧跡巡りも多彩である。
[北川光雄]
長い地質時代にわたって、地殻変動や火山活動が盛んに繰り返されてきており、半島の大部分が富士火山帯の多賀、大室、天城、棚場、達磨などの高原状の諸火山からなり、海岸はほとんどが磯浜海岸である。地震活動も盛んで、1930年(昭和5)には伊東群発地震の半年後に北伊豆地震(M7.3、死者272人)が発生。近年も1974年(昭和49)伊豆半島沖地震(M6.9、死者29人)、1978年伊豆大島近海地震(M7.0、死者25人)、1978~1980年断続的な伊豆半島東方沖の群発地震と、破壊地震が北上し、半島中東部での地盤隆起などと相まって、成り行きが注目されている。群発地震はその後も断続的に発生しており、東京大学地震研究所などで地殻活動の常時監視が行われている。プレートテクトニクス(海洋底拡大説)によれば、伊豆半島はフィリピン海プレートにのって北上し、アジア大陸プレートにのっている日本列島とぶつかり、押し合っているという。
[諏訪 彰]
『星野通平他編『伊豆半島』(1972・東海大学出版会)』▽『日本歴史地理学会編『郷土史話伊豆半島』(1978・歴史図書社)』
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…東半部はフォッサマグナの大地溝帯の一部にあたり,火山や温泉,地震の多い地殻運動の活発な地域である。富士山(3776m),愛鷹(あしたか)山(1188m),箱根山などの火山地域と伊豆半島によって構成され,火山のほかは1500m以上の山地はごくわずかである。西半部は中央構造線が北西端近くを通るため,一部分が西南日本内帯に属するが,大部分は外帯に属し,古期岩層がほぼ南北方向の帯状に配列する標高2500~3000mの赤石山脈が広い面積を占める。…
…アルプスやヒマラヤなどの高い山脈は,それぞれユーラシアプレートとアフリカプレート,ユーラシアプレートとインド(オーストラリア・インドプレートの北西端)の衝突によってできたもので,その造山過程はいまもって進行中である。また伊豆半島は本州中央部と衝突していて,赤石山脈などの隆起を引き起こしている。
[横すべり型プレート]
二つのプレートがその境界と平行な相対運動をしているときは,境界に沿っては両プレートの面積は不変である。…
※「伊豆半島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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